『べらぼう』平賀源内と凧を用いた構成が秀逸過ぎる 森下佳子が描く“絶望からの希望”
NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第44話はとにかく「お菓子」な回である。なぜなら、てい(橋本愛)を気遣ってやってきた大奥の義母・ふじ(飯島直子)と義姉・とく(丸山礼)が持ってきた「ふじ撰江戸名物菓子之部」を皮切りに、三浦(原田泰造)や喜三二(尾美としのり)といった、懐かしい人たちがお菓子を手に続々と登場する、もしくは人から人へとお菓子が手渡されていく回だからだ。
「お菓子」な回は「可笑し」な回とも言える。懐かしくて洒落ていて、なおかつ思いやりに満ちている。『べらぼう』においても、『おんな 城主直虎』においても、森下佳子脚本の大河ドラマは、どこまでも容赦なく絶望を描く。でもその先の希望を、人々が力強く足を踏みしめる姿を描くことを決して忘れない。
喪失のあとに待つ、蔦重流の「仇討ち」
まずこれは、生まれるはずだった我が子を失い、食べるものも食べられないほど憔悴したていが笑顔を取り戻すための回である。ていと同じく悲しみの中にいた蔦重は「平賀源内(安田顕)が作ったという相良凧」を背負ってやってきたのちの十返舎一九である貞一(井上芳雄)がもたらした「源内生存説」という、降って湧いた可能性に、飛びつくように夢中になる。
それは最初の頃から変わらない「わかんねえなら、楽しいことを考える」という彼の流儀が由来しているのだろう。元々源内の死が描かれた第16回で蔦重は「俺は信じねえことにする」と言っていたのだから。でもそれだけでなく、ていが興味を持ったからと言えるのではないだろうか。実際、蔦重から「源内探し」の成果を聞く中で、前述した義母たちの気遣いも功を奏し、ていは次第に笑顔と食欲を取り戻していく。
そこで思い出すのは第29回「江戸生蔦屋仇討」回だ。恋人・田沼意知(宮沢氷魚)を失い、ショックのあまり我を失っている誰袖(福原遥)の笑顔を取り戻すため、蔦重と仲間たちが本屋にしかできない手法で「仇討ち」を試みる回だった。そうしてできあがったのが山東京/北尾政演(古川雄大)による黄表紙『江戸生艶気樺焼』である。つまり、本作において、喪失のあとには、必ず彼ら流の「仇討ち」が待っているのだ。ふく(小野花梨)の死の後に、新之助(井之脇海)なりの「仇討ち」となる打ちこわしが描かれたように。
「源内軒」の正体と、受け継がれる魂
第44回においても思わぬ「仇討ち」が浮上する。蔦屋の戸口に置かれていた源内による「幻の戯作」の続編にあたる「七ツ星の龍が命を落とした後、源内軒が仇討ちに立ち上がるその後の物語」のその先にいたのは、蔦重が会いたくて仕方がなかった平賀源内その人ではなく、松平定信(井上祐貴)をはじめとする「宿怨をこえ、共に仇を討つべく手を組むに至った」人々の姿だった。
つまりはここにおいて「源内軒」はそこに集いし仲間全員となるのだ。源内は、人々の心を介して生きている。生かされている。まさに、前述した第16回の源内の死の際における「じゃあ俺はな、平賀源内を生き延びさせるぜ。この須原屋が源内先生の本を出し続けることでさ。ずっと、ずっと、それこそ俺が死んでも、源内さんの心を生かし続けることができるだろ」という書物問屋の店主・須原屋市兵衛(里見浩太朗)の言葉そのままに。