大ヒット&絶賛の声多数! 戦後80年の節目に映画『火の華』を観るべき理由

 自衛官による派遣先の地での凄絶な経験。新しい人生に踏み出しながらも消えない記憶と、心の痛み。そして、日本で発生する新たな事件……。2016年の「自衛隊日報問題」を題材に、起こり得た“最悪のシナリオ”をフィクションとして描く映画、『火の華』が公開された。

映画『火の華』ファイナル予告編

 全国で順次公開される本作『火の華』は、すでに上映中の映画館の一つ、渋谷ユーロスペースで、大ヒットといえる動員数・客席の稼動率の高さを実現させている。この熱気を作り出したのは、現在の日本の矛盾した状況なのかもしれない。ここで描かれる問題は、それが指摘され大きな騒動となった当時と、根本的な問題がいまだ解決されていない現在とを結び、われわれ観客に、現在の日本と世界の姿がどんなものであるかを突きつけることになるだろう。

 新たな内閣が発足し、防衛費増大が検討される日本の政治状況のなか、われわれは自衛隊のあり方に、あらためて向き合う必要がある。本作を観ることは、それを考えるきっかけとなり、議論をうながすことにも繋がるはずだ。ここでは、戦後80年という節目において、日本の姿を問い直す本作の内容が、何を具体的に描いているのかに迫っていきたい。

 監督の小島央大は、長編デビュー作『JOINT』(2021年)で新藤兼人賞銀賞を受賞した新鋭。本作『火の華』では、企画、脚本、編集、音楽を手がけ、この難しい題材を、『JOINT』でも主演を務め、本作で共同企画・脚本執筆にも参加している山本一賢を再び主演に迎えている。

 最初の舞台となるのは、南スーダンの集落。山本演じる、主人公の島田東介を含めた自衛官たちは、南スーダンでPKO(国連平和維持活動)の活動を続けている。そこで突如、武装勢力との銃撃戦に巻き込まれる。同期で親友の古川(原雄次郎)が銃弾を受けたことで、島田は少年兵を射殺してしまう。退却は混乱をきわめ、隊長の伊藤(松角洋平)は行方不明となる。

 古川は死亡し、少年を殺害してしまった事実を抱えることになった島田。その後、上官は、この出来事を公にすることはできないと彼に告げる。それならば島田は、自分の罪にどうやって向き合い、償えばよいのか。上官はただ、「日本のために耐えろ」と伝えるだけだ。

 この出来事自体は本作の創作である。しかし、そこには真実も含まれている。PKOは、国連が紛争地域で平和を維持・復興する活動のことで、日本は1992年にPKO法が公布され、同年より自衛隊が派遣されることとなった。自衛隊が海外派遣され活動をおこなうことには、当初より反対の声があった。日本国憲法は戦争放棄を掲げていて、自衛隊の海外での武力行使は認められないからだ。

 PKOを進めた政府は、そんな批判に対して、自衛隊の活動を「非戦闘地域」に限定すると説明しているが、日本初の本格的なPKOとなったカンボジアで、文民の警察官が武装勢力の襲撃で死亡するなどの悲劇が起きていることも事実だ。

 日本のPKO活動を揺るがす、大きな問題が起こったのは、2016年だった。南スーダンに派遣された自衛隊の日報に「戦闘」という文言が記載されているといった告発がなされたのだ。これによって、自衛隊を「戦闘地域」に派遣している疑惑が濃厚になった。その指摘に対して政府が、日報が“廃棄済み”だと答弁したことが、さらに大きな問題となる。これにより翌年、防衛相・稲田朋美が引責辞任し、組織的な隠蔽を認めるかたちとなったのだ。

 こうした経緯を見ると、本作の冒頭で起きた自衛隊の戦闘行為は、現実にあり得たシナリオであることが分かる。そして現実に日報が隠蔽された経緯から、“それ”が起きたとして、劇中のように揉み消される可能性があったことも理解できるのである。

 本作の主人公・島田は、戦闘の恐怖と、少年兵の殺傷が公にされなかったことで、深刻な重圧を背負ったまま自衛官を辞めることになる。そして新たな職場では、PTSD(心的外傷後ストレス障害)のためトラブルを起こし、新たな仕事までを失うことになるのだ。

 『我等の生涯の最良の年』(1946年)や『ディア・ハンター』(1978年)、『ハート・ロッカー』(2008年)など、アメリカ映画では戦争が与えた兵士の傷を描いた映画が数多くある。一方で日本では、とくに現代劇において、兵士のPTSDを扱う作品というのは非常に少ないといえる。それは前述したように、日本が第二次大戦以降、戦争を放棄したからだ。だから、現代劇において自衛隊が深刻なPTSDを抱える本作の描写というのは、日本におけるPKO活動に疑念が生まれたという限定的な条件によっておこなわれたというわけである。

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