横浜流星×染谷将太、『べらぼう』黄金コンビが再び “欲”が鍵となった歌麿の傑作誕生秘話
NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第40回。松平定信(井上祐貴)から「身上半減」の処分を受け、倹約の日々を送る羽目になった蔦重(横浜流星)。何より悔しいのは、その境遇から定信の苦悩が見えてしまうことだった。憎い相手を、憎いままでいられたほうが、どれほど楽だっただろう。
そして、つい想像してしまうのだ。定信もまた、幕府の逼迫した財政を立て直すため、必要に迫られて「倹約令」を掲げたのではないか。この「身上半減」という聞き慣れない刑罰も、単に自分をたばかった蔦重を懲らしめるためだけではなく、傾いた国(店)の立て直しを「お前もやってみろ」と突きつけたのではないかと。
ならば「やってやろうじゃないか」というのが、我らが蔦重だ。いつだって状況を打破するのは「負けず嫌い」の気持ち。それは挑まれた相手に負けたくないという「意地」でもあり、何より“自分が期待する自分”に負けたくないという「欲」でもある。
これまでコストや才能を「べらぼうな使い方をする」と、笑わずにはいられない企画を実現してきた蔦重。だが、そんな豪奢な入銀本はもちろん、真骨頂である色街を舞台にした好色本なども禁じられた中で、一体何ができるのか。その難しさは、かつてほど潤沢な予算を確保できず、表現に対して繊細な判断が求められる現代のエンタメ業界にも通じるものがあるように思える。
「制約があるから面白いものが作れない」と諦めるのは、それこそエンタメの敗北だ。低予算かつ多くのしがらみがある中でも、人々を熱狂させる作品はきっと作れる。いや、生み出してみせると、新時代に挑む蔦重にとって急務だったのは、同じ気概を持つ仲間を再び集めること。すなわち、お咎めを恐れて筆を置いたクリエイターたちの中に眠る「欲」を再び覚醒させることだった。
山東京伝(古川雄大)には、鶴屋(風間俊介)とともに、現代で言う“ファンミーティング&サイン会”を開催。「これだけ多くの人に求められているのだ」という熱量を直接浴びせることで、「モテたい」という京伝の最大のモチベーションをくすぐっていく。みるみる元気を取り戻していく京伝を眺めながら、してやったりという笑みを浮かべる蔦重と鶴屋も微笑ましかった。前回、声を荒げて蔦重を叱った鶴屋との絆も、さらに深く強固なものになっているようだ。それは、自らの正義を貫くために反対意見を遠ざける定信とは対照的な構図でもある。
さらに蔦重は、京伝のもとで出会った次世代のクリエイター・滝沢瑣吉(後の曲亭馬琴/津田健次郎)にも目をつける。まずは、あえて師とも言える京伝の名前で作品を書くことを提案し、「一気に京伝を抜いてやろうぜ」と焚きつけたのだ。それも、初対面で「書いてやってもいいぞ」と豪語した勝ち気な瑣吉の性格を見抜いてのこと。加えて、戦略家タイプの瑣吉とは真逆の、自由奔放な勝川春朗(後の葛飾北斎/くっきー!)をぶつけることで、「負けたくない」という感情を互いに刺激し合う構図を作り出したのだ。
そうして蔦屋耕書堂の新章を紡ぐクリエイターたちが続々と集まる中で、最も難しかったのが歌麿(染谷将太)の心に火を灯すことだった。歌麿は妻・きよ(藤間爽子)の死に打ちひしがれながらも、筆を置くことはなかった。だが、再出発の場として選んだのは栃木。それは蔦重から距離を置くためでもあった。
歌麿をの人相を見立てた瑣吉の言葉から、蔦重は彼が自分に特別な心を寄せていたことを思い出す。きよとの静かで穏やかな日々は、おそらく蔦重の一番になりたいという「欲」に蓋をしてくれていたのだろう。しかし、そのきよが天に旅立った今、再び「欲」に翻弄される日々が戻ってくることへの恐れがあったのではないか。
「欲」があるからこそ、人は奮起できる。だが同時に、「欲」に疲弊してしまうことも。自分自身でもコントロールが難しい「欲」。しかし、だからこそ強く、そして驚くほどのパワーを秘めているのもまた「欲」なのだ。