イム・シワン主演『カマキリ』が描く韓国社会の課題 『キル・ボクスン』と対になる一作に
物語を追っていけば分かるように、昔からジェイに惹かれていたハヌルは、彼女の真剣な向上心を潰してしまうことを恐れ、じつは組み手において巧妙に彼女に花を持たせていた。それができるほど、二人の実力差は大きかったといえる。しかし、さすがプロフェッショナルといえるMK代表は、正確に双方の実力を見抜く。この判断によって、ハヌルはMKで最強の名を手にしていく代償に、最愛の存在を一度失っていたのだ。
ハヌルとジェイの関係が、現実の社会の一部分を暗示しているとすれば、その一つは“職場恋愛”の難しさ、というところだろう。とくに社内における同期の立場というのは、恋愛対象である前に、社の利益や貢献を目指す仕事仲間であり、ときにライバルでもある。評価、出世、成果が絡む環境では、感情と合理性が常に衝突することとなる。感情をあらわにしてしまえば、良好な関係性が崩れ、仕事に支障をきたしてしまう可能性も大きい。
『キル・ボクスン』の主人公ボクスンが、シングルマザーとして娘を育てるため、自分の仕事とのギャップに葛藤するのと近い社会的な構図が、ここでも生まれている。ハヌルもやはり、仕事によってワークライフバランスを犠牲にせざるを得なかったといえる。その意味で本作は、『キル・ボクスン』と対になる一作だといえる。
ジェイがライバル心をむき出しにしてしまう裏には、韓国社会における同期社員の共通点の多さという要因もあると考えられる。韓国の大手企業や官公庁では、日本同様に新卒一括採用の比率が非常に高く、同年齢や同学歴の人々が集まる傾向にある。そこで差が出るのは、社内での評価。結果として、同期同士の序列というものが、心理的にも社会的にも重要な意味を持ってしまう。だから同期のなかで昇進が一人だけ早いと、周囲は祝福よりも焦燥を感じやすくなるという。
また、儒教をベースにした道徳的な観念により、年功序列、先輩・後輩という立場をとくに重んじる韓国では、自然とライバル視する存在が同期ということになりやすい。そして儒教とは異なる価値観を持つ、資本主義経済の能力主義の浸透が、それを助長することで、とくに韓国の会社員たちは必要以上のプレッシャーにさいなまれることになったといえないか。
近年は、SNSの普及により、他者と比べられる心理的負担もさらに大きくなっている。OECD (経済協力開発機構)の加盟国のなかで韓国の自殺率が際立って高いのは、こうした職場や社会全体の“競争圧力”が原因の一つだと分析されている。若手たちのスタートアップ企業が一部で目覚ましい成功をするなか、空中分解してしまうケースも少なくない。本作におけるハヌルとジェイのこじれた関係は、そんな社会の課題の反映だといえよう。
こうして見ていくと、殺し屋たちの活躍をエクストリームに描いた『キル・ボクスン』や、本作『カマキリ』は、実のところ、韓国社会における会社組織で働く人々が直面しがちな悩みを描いた作品だということが分かってくる。だが、そんな厳しい環境に身を置きながらも、自分の感情やこだわり、優しさを手放さない、カマキリという特異な仕事人間の存在は、キル・ボクスン同様に、われわれに個人として、どのように心理的な健全性を保ち、どう充実した生き方をするかを、一つのモデルとして教えてくれるのだ。
参照
https://life.chosunonline.com/m/svc/article.html?contid=2020092480069
■配信情報
『カマキリ』
Netflixにて配信中
出演:イム・シワン、パク・ギュヨン
監督:イ・テソン
Cho Wonjin/Netflix © 2025