『トロン:アレス』を映画館で“体感”せよ 圧倒的な映像体験と音楽がもたらすメッセージ
3DCGを本格的に導入した最初期の伝説的映画として、圧倒的に時代を先取りしていた1作目『トロン』(1982年)。そして、ジョセフ・コシンスキー監督の手によって28年後に作られた2作目『トロン:レガシー』(2010年)……。それからさらに、15年が経った。
この度公開される『トロン:アレス』は、そんな2タイトルの設定と魂を受け継ぎながらも、独立した映画として楽しめる娯楽性と、現代人の感覚を色濃く反映した、いま観ることに意味のある一作に仕上がっている。
ここでは、そんな本作『トロン:アレス』の内容に多角的に迫りながら、そこに用意された、洪水のように押し寄せる圧倒的な映像体験と音楽がもたらす、“体感”としてのメッセージを読み取っていきたい。
これまで『トロン』シリーズで描かれてきたのが、「グリッド」と呼ばれる、コンピューター内部の広大な仮想デジタル世界だ。「ユーザー」の目的のために統制された無機質な構造物のなかで、プログラムが人間のような姿で知性を持ち、それぞれの役割を果たしている。そのあらゆるデザインは、シンプルであるがゆえに研ぎ澄まされた美学を放っている。そんな世界に、生身の人間がデジタル化されて入り込むというのが、基本的な内容だった。
本作では、そんな構図が物語の始まりにおいて、すでに崩れ、逆転している。「グリッド」のなかのキャラクター化されたプログラムや、あの印象的なバイク「ライトサイクル」、戦車、ディスク状の武器などが、現実の世界に“実体”として現れ、躍動するのである。人間たちの常識を超えたハイテク技術が、都市や人々、そして世界全体への大きな脅威となっていく。
グリッドのなかのさまざまな存在を現実上に出現させる革命的新技術が、物語の重要な要素となる。そのシステムは、レーザーを照射する3Dプリンターのようなもの。「“無から有を生み出す”なんてこと、“質量保存の法則”に反してないか?」と思ってしまうところだ。おそらくこれは、現実に研究されている、高出力レーザーによる光子衝突で物質を生成するといった技術を参考にした、SF設定なのだろう。
「エンコム社」と「ディリンジャー社」、2つの巨大テック企業は、その技術を完全なものにするため、開発競争に明け暮れている。というのも、この“現実化技術”には、生み出された物質の組成が安定せず、29分しか維持できないという致命的な欠陥があったのだ。だからこそ、それを安定させる“永続コード”を発見した側が、事実上未来のシェアを獲得することになるのである。
問題となるのは、実体化技術により、飢餓やエネルギー問題を解決したいと考えるエンコム社に対し、ディリンジャー社が、軍事への転用を画策していること。つまり、ディリンジャー社がシェアを握ることになれば、強大な軍事力が生み出されてしまうこととなる。ディリンジャー社が軍事利用のために生み出したグリッド内の優秀なAI兵士で、「軍神」の名を持つ“アレス”(ジャレッド・レト)もまた、この技術で現実の世界を、29分間体験するのだ。
一方、かつて開発者ケヴィン・フリン(ジェフ・ブリッジス)が活躍したエンコム社は、フリンの失踪を経て、若きCEOイヴ・キム(グレタ・リー)によって立て直されている。イヴはついに「永続コード」を発見することになるのだが、その最重要機密がアレスらによってハック。ディリンジャー社CEOジュリアン・ディリンジャー(エヴァン・ピーターズ)は、現実世界にアレスを呼び出し、あらゆる手段を講じてコードを奪おうとするのである。
現実の夜の道路に、あのライトサイクルが出現し、バイクで逃げるイヴをアレスたち兵士が追走するシーンは圧巻だ。実体化する“軌跡”による高速度の“陣取りゲーム”が、一般道路で展開する光景は、美しく刺激的であるとともに、観客の現実感覚を揺るがし、認識をかき回すことになるだろう。
物語のキーアイテム(「永続コード」)を取り合うというストーリーの骨格は、エンターテインメントの王道といえる。そのため本作は、これまでのシリーズに比べて目的が明確。最新技術によるグリッド世界や、アイテムに彩られた視覚表現の数々、生死と世界の未来をかけたバトルは、単体の娯楽映画として観て、十二分に楽しめる内容となっている。シリーズ作品を必ず予習する必要もない。
しかし、『トロン』第1作や『トロン:レガシー』が、かなり美学的なバランスと実験精神に溢れていたことを考えると、娯楽映画としての要素が強い本作は、そのような部分が希薄なのではないかと心配するファンがいるのも、もっともだろう。なぜなら、とくに「オリジナル」と呼ばれる『トロン』第1作は、1980年代の前半にポリゴンを利用した3D表現を使用しているなど、最先端技術を前面に押し出した画期的なものであり、だからこそ一部のコアな観客に熱烈に愛され、カルト的な人気によって伝説化した経緯があるからである。