実在の人物を朝ドラで扱う意義とは? 『あんぱん』が描き続けた“戦争”への思いが結実

 嵩の仕事に関する描写がやや少なく感じるのは、のぶが主人公であり、彼女は嵩の仕事をすべて把握していないからかなと筆者は想像する。

 夫の仕事やクリエーターとしての夫の感覚はどうしたって理解できない。だからできることをやってサポートするしかない。そこでのぶは読み聞かせをしたりチラシを配ったり、夫の理念を他者に伝えようと心を砕く。そのために前夫・次郎(中島歩)から教わった速記も再びはじめるし、彼が遺したカメラでまめまめしく上演記録写真まで撮り始めるのだ。それは、戦死した次郎の想いもちゃんと受け継いでいるという証にもなる。戦時中のカメラが容易に使えるのか、劇場という独特の環境で撮影が可能なのかという問題は「メルヘン」ということで片がつくだろう。

 夫とその作品をひたすら信じて他者に伝導する。ともすれば、戦時中の軍国主義を盲信して子どもたちに教育していたのぶと変わらないように感じる行為である。三つ子の魂百まで。ひとつのことを信じると猪突猛進という性格は変えられない。そんなのぶに性格を直すように働きかけずとも、信じることが間違いのないものであればいい。

 おなかをすかせた人にアンパンを差し出すことーーのぶは、嵩の理念が子どもたちの未来にとって間違いのない(軍国主義のように決して逆転することのない正義)ものだと信じ、それをまっすぐ応援し続ける。

 このようなのぶのことを素直で好ましい人物だと思う視聴者もいれば、主体性のない、結局は他人の言葉を信じてしまう流されがちな人だと思う視聴者もいるだろう。

 モデルの暢に関して残された記録を読んでのぶのような人ではなかったのではないかと考える視聴者もいるだろう。脚本・中園ミホが説くように軍国主義だったとは思えないと考える人もいていいと思う。当人の記録がないのだから誰が何を言っても真実はそこにない。

 『あんぱん』の意義といえば、ドラマ化が決まるまでは、わずか5つくらいしか記録が残っていなかった、やなせの秘書・越尾正子の回想録では名前ではなく「奥さん」とばかり書かれていた暢という人物にじつに多くの人たちが関心を寄せたことである。

 超人気作家・やなせたかしの妻になる前は、おそらく彼女なりの物語があった暢という人物が、やなせ夫人になった途端・影に隠れてしまった。まさに「知らない人は知らないが知ってる人は知っている」。いや、「知らない人は知らないし知ってる人も少ないし」なのだ。

 ドラマがなかったらこのままずっと「奥さん」だった人の記憶が、ドラマになったことで少し掘り起こされ、暢という記憶が生き延びたことは喜ばしいことではないか。次郎もそうで、モデルの小松総一郎はドラマにならなかったら、注目されなかっただろう。昔々、こういう人たちが確かに生きていた。そこに思いを馳せることができた。ドラマ化のいいところはこういうところかなと思う。

 ただ欲をいえば、アンパンを屋村に作ってもらうに当たって、のぶがこれまでこっそりしていた貯金(嵩のために貯金していたとかで)をはたいたり、お茶教室で稼いだお金を投入したり、自腹を切ることをすることを考えず、なぜ八木に頼ったのかなあ(蘭子がしたことだが)と思ったりもした。

 のぶと屋村の間に金銭を介入させたくないのかもしれない。だが子どもたちにアンパンを配りたいという思いに、自分ができることをするのは当たり前だし、さすがに個人で出すには足りなかったら八木に頼ればいいではないか。「こうだったらいいのに」はできる限りやらないように筆者は心がけているのだが、ここはちょっと思わずにはいられなかった。

■放送情報
2025年度前期 NHK連続テレビ小説『あんぱん』
NHK総合にて、毎週月曜から金曜8:00〜8:15放送/毎週月曜〜金曜12:45〜13:00再放送
BSプレミアムにて、毎週月曜から金曜7:30〜7:45放送/毎週土曜8:15〜9:30再放送
BS4Kにて、毎週月曜から金曜7:30〜7:45放送/毎週土曜10:15~11:30再放送
出演:今田美桜、北村匠海、江口のりこ、河合優実、高橋文哉、大森元貴、妻夫木聡、松嶋菜々子
音楽:井筒昭雄
主題歌:RADWIMPS「賜物」
語り:林田理沙アナウンサー
制作統括:倉崎憲
プロデューサー:中村周祐、舩田遼介、川口俊介
演出:柳川強、橋爪紳一朗、野口雄大、佐原裕貴、尾崎達哉
写真提供=NHK

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