『あんぱん』脚色でより明確になったテーマ 空腹と戦争が導いた“逆転しない正義”
『あんぱん』(NHK総合)は、『アンパンマン』の生みの親であるやなせたかしと小松暢夫妻をモデルにしている。朝ドラでモデルがいた作品では、例外なく何らかの脚色が施されていている。それらの脚色は、明確な意図に沿って改変あるいは設定変更がなされる場合が多い。この記事では、『あんぱん』における脚色を取り上げ、それらがどのような効果を生んでいるかを考察する。
最大の変更点は、ヒロイン朝田のぶ(今田美桜)と柳井嵩(北村匠海)の出会いを幼少期に設定したことだ。やなせと暢さんは戦後に出会っている。高知新聞社が発行する雑誌『月刊高知』の編集部で、先に入社して記者として活躍していた暢さんに、後から入ったやなせが惚れたという経緯がある。暢さんとやなせは、東京出張の際に暢さん以外の男性が食中毒になった「おでん事件」で距離が縮まった。やなせの著書では、暢さんから大胆なアプローチがあったことが明かされている。
ドラマでは、父・清(二宮和也)が亡くなって、御免与町に引っ越してきた幼い嵩(木村優来)とのぶ(永瀬ゆずな)の出会いが描かれる。大人になっても受け継がれる二人の性格描写、内気で繊細な嵩と“ハチキンおのぶ”の対照的な姿と、互いを支えながら前を向いて歩んでいく関係性はこの時点で示されている。
主人公の出会いを幼少期にしたことで、のちの展開につながる要素がドラマに持ち込まれた。これらのはいずれも『あんぱん』という作品の根幹にかかわる重要な設定だ。ひとつは“軍国少女”の設定である。のぶは、進学した女子師範学校で、教師の黒井(瀧内公美)らに愛国精神を厳しくたたき込まれる。「愛国の鑑」として称賛されたのぶは、尋常小学校で、子どもたちにお国のために尽くすように説いた。敗戦後、のぶは、自身の過ちを後悔して、教師を辞める。
アンパンマンが生まれるきっかけになった「逆転しない正義」。のぶの後悔は、逆転する正義を信じてしまったことで生じた。軍国少女の設定は、嵩とのぶが、ドラマ後半で、アンパンマンという類例のないヒーローを生み出す動機として働いていた。
もうひとつはパンに関する設定だ。ドラマでは、結太郎(加瀬亮)を失った朝田家が、流浪のパン職人・屋村(阿部サダヲ)の助力を得て、パン屋を開業するエピソードが描かれる。主力商品のあんぱんは、朝田家の生計を支える。屋村が焼くあんぱんは、のぶと嵩の大好物で、二人を元気づけたり、うれしいことがあれば食べるなど随所で活躍した。やなせ自身は「子供の時アンパンが好きだった」と語っているが、大阪生まれの暢さんが、子どもの頃にパン屋を営んでいたという記録はない。これはドラマの創作である。
『アンパンマン』で、なぜ“あんぱん”だったかについて、やなせは丸い形状と食事やおやつにもなる利点を挙げている。屋村が『アンパンマン』のジャムおじさんをモチーフにしていることは明らかだが、架空のキャラクターの手を借りてまで、ドラマ序盤にあんぱんを持ち出したのは、ヒーロー誕生の必然性を強化するためと考えると腑に落ちる。