『べらぼう』渡辺謙から横浜流星へ託された想い 蔦重VS松平定信、“似た者同士”の闘いへ

かつて田沼意次(渡辺謙)が蔦重(横浜流星)に「お前は何かしているのか? 客を呼ぶ工夫を」と問いかけた日のことが、今となっては懐かしい。初対面の折、蔦重が「ありがた山の寒がらす」と言い放ち、それ以来、意次は彼を「ありがた山」と呼び続けた。この呼び名には、意次が目指した「社会の余裕」のシンボルが込められていたのかもしれない。
NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第34回「ありがた山とかたじけ茄子」で描かれたのは、田沼時代の終焉と「寛政の改革」の幕開けだった。幕府の頂点を極めた老中・田沼意次が表舞台から去り、蔦重をはじめとする市中の人たちが、新たな時代の荒波に直面する姿が描かれる。

本作で繰り返し印象的に扱われてきたのは、蔦重と意次の不思議な縁である。両者は生まれも身分も異なるが、同じ時代に成り上がり、共に「新しい世」を夢見たという点で同志と呼べる存在だった。
身分を超えて意見を交わすことができること。洒落を楽しみ、憂いを笑い飛ばすことで元気を出すこと。それは心と懐に余裕があってこそ可能になる。市中の声を届ける蔦重や平賀源内(安田顕)のような存在を大事に扱っていたのには、彼らこそが新時代を動かす原動力だと信じていたからだろう。そして何より、自らがまず蔦重のような存在を受け入れる器を持つことで、社会の余裕を叶えようとした。それこそが意次の「世を変える工夫」であったはずだ。

しかし、その理想も無常についえ、意次は失脚を余儀なくされる。石高没収、そして蟄居の末に病死する史実を踏まえると、ドラマで描かれた「田沼様、ありがた山の寒がらすにございます」「こちらこそ、かたじけ茄子だ」と笑い合った場面が、2人の思い出の最後の1ページとなったに違いない。蔦重の手を取り、励ますようにポンポンと手を重ねた仕草は、その志を託す意味も込められていたようにも見えた。
「みんなの入れ札で役目を決める」という意次の構想は、選挙によって政治家を選ぶ未来を予感させるようでもあった。もし、冷害や浅間山の噴火、大雨による利根川の決壊、大飢饉と続く天災がなかったら。もっと違う未来が開けていたのではないか。運も実力のうちと言われればそれまでだが、意次の無念を思うと胸が詰まる。

その意次の志を引き継いだ蔦重にとって、新たに老中首座に就いた松平定信(井上祐貴)を受け入れることはなかなかに難しい。定信は意次の築いた世相を「田沼病」と揶揄。さらに、蔦重たちが花開かせた狂歌の世界をも摘み取ろうとする。
「戯れ歌ひとつで処罰なんて」と軽口を叩いていた蔦重だが、大田南畝(桐谷健太)が実際に呼び出されて怯えている様子を見せると、冗談では済まされない空気が漂う。幕府内では田沼派の幕臣が次々と粛清され、あの土山宗次郎(栁俊太郎)は斬首。狂歌を詠んだだけで首が飛ぶ――そんな時代が到来しつつあることを実感せざるをえなかった。




















