『近畿地方のある場所について』映像化と考察要素に潜む社会風刺 巧みな演出を紐解く
「このホラーがすごい! 2024年版」(宝島社)国内編第1位にも選ばれた背筋によるベストセラー小説を、『サユリ』(2024)や『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』シリーズでお馴染みの白石晃士監督によって映画化した『近畿地方のある場所について』。
もちろん、単純に怖いホラー映画としても見応え抜群ではあるものの、今作は、観客の「知りたい」という“探求心”を刺激してくる作品として、深い楽しみ方ができる。
なぜ人は、怖い、危険、近づきたくないと思いつつも、その道を進みたくなるのか……。オカルトメディアという媒体を通して、その心理、神髄に触れているようだ。
全体的な構造としては、2005年の公開当時、日本版『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』とも呼ばれ、メディアでも大きな話題となった『ノロイ』の現代進化系であり、『コワすぎ!』シリーズや『オカルトの森へようこそ』などで培ってきたモキュメンタリー、ファウンド・フッテージのスキルを存分に活かしたものとなっており、そこに“探求”する楽しみ要素も配合したことで、白石監督の真骨頂ともいえる唯一無二の作品に仕上げてきた。ただし、原作ファンが納得できるかに関しては一旦置いておいて……。
今作にジャーナリズム映画としての側面、そして妙な説得力をあたえている要因は、ドラマパートとフェイク映像がキッパリと別れているからだ。
例えば『コワすぎ!』シリーズも“探求心”を刺激する構造ではあったものの、全体がモキュメンタリーになっていることから、映像と映像のメリハリがあまりつき辛くなっていたのに対して、今作は資料映像の境が明確に別れている。それによって素人撮影の質感やビデオテープの劣化具合などの映像演出がより際立ち、“本当にあった”かのような、妙な説得力をもたらしているのだ。
それだけではなく、『スポットライト 世紀のスクープ』(2015年)や『大統領の陰謀』(1976年)、あるいは『新聞記者』(2019年)といった作品に通じるものを感じさせているのは、点と点が繋がっていくという単純な理由ではなく、ホラーというジャンルをもはや通り越して心理学、とくに民俗学に踏み込んでいくからである。
童話や民話には、子どもの道徳教育や生活教訓といった側面とは別に、そのモデルになったものには闇深いものがあったり、少しずつ派生していくことで、別のものへと分岐していく場合がある。
舞台を特定の地域ではなく“近畿地方”とすることで、そのグラデーション的過程を浮き上がらせながらも根底にあるものをチラつかせるという巧妙なギミックが張り巡らされている。
ちなみに、よく観ていないと気づかないかもしれないが、作中で触れられない資料の中に“妖怪”の本も置いてあった。
近畿地方の妖怪といえば、輪入道や砂かけ婆といった『ゲゲゲの鬼太郎』でお馴染みの妖怪もいるが、今作の要素に似ている妖怪といえば、一目連やだいだらぼっちなどが連想される。
この資料が意味していたものは、妖怪の仕業であるかを調べていたのではなく、その“起源”を調査していたのだろう。つまりここでも民俗学に行き着いていく。ただの小道具として置かれていたわけではないはずだ。
現代社会において、霊的現象のほとんどは人間の精神的な問題や錯覚などで説明がついてしまうものが多い。都合よく歪曲させ、宗教へと繋げる力技もある。しかし視点を少し変えてみれば、霊的なもの、あるいは悪魔、妖怪などと表現されているものの一部が、人間の理解、思考、想像を越えるところにある“何か”だとすれば、それは私たちが知らないだけの“宇宙の事実”かもしれない。
世界や宇宙のことを理解できていない人類がそれを否定できる立場ではないし、背筋が「コズミック・ホラー」を目指して執筆したというのも納得がいく。