『着せ恋』五条くんが“スパダリ”無双中 現代ラブコメをめぐる男性性&主人公造形とは?
『薫る花』が描く“不器用”な関係
そう考えると、『着せ恋』と『青ブタ』の中間点に『薫る花』は位置しているように思える。本作の主人公・凛太郎もまた2人と同じようなコンプレックスを抱えている。ただし凛太郎は、新菜のような「スパダリ」的な行動を取ることも、咲太のようなニヒルな態度に陥ることもない。それは凛太郎のコンプレックスがその外見(公式設定では190cmあり、また少なくとも現時点では金髪である)に起因しているためだろう。外見という容易に変えることの難しい要素から怖がられるというのは、裏を返せば新菜や咲太とは違い態度に関わらず有害な存在として見られてしまっていることを意味している。そのため彼は、そうした経験の中から徹底的に自分の見た目が持つ「有害さ」を内面化することで、クラスメイトの翔平が「どっか壁あるよな」と評するように同性の友人も含めて全ての他者に対して一線を引こうとする。凛太郎はあらゆる行動を取らないことによって、新菜と咲太の間にいるように筆者には思われるのだ。
彼の持っているある種の不器用さは、「主人公」らしい行動力を過度に抑制してしまうが、一方でそれはヒロイン・薫子の魅力……つまり行動を起こせない凛太郎に踏み込んでゆくまっすぐさを引き立たせている。薫子のまっすぐさは少しずつ凛太郎の全員に対して一線を引こうとする態度を変えてゆき、それはひいては2人の関係の進展が外見・属性という単純な尺度で他者を判断しないという『薫る花』の主題そのものに大きく関わることとなる。凛太郎のもつコンプレックスは、作品全体の展開とも大きく関連しているのである。ただしそれは、主人公とヒロインのどちらも理想的な人物として描かれすぎていることも意味している。互いに「物分かりがよすぎる」のだ。2人はコンプレックスに対する苛立ちや自身を害する(かもしれない)存在に対する先入観を跳ね除け、相手と対話することを優先する。筆者はそれができるくらい薫子も凛太郎も大人びていることが『薫る花』の魅力のひとつだと思っているが、逆にここに違和感を抱く気持ちも十分に理解できる。
このように主人公を軸に整理してみると、この3作品がいかに異なるものであるかが改めて見えてくる。どの作品の主人公にも魅力はあるし、欠点もある。作品の中心を担う存在だからこそ彼らの魅力や欠点はそのままヒロインや作品全体のそれにも直結することにもなるし、そのどれに共感するか/魅力を感じるかは個々人によって異なるだろう(筆者の場合は『薫る花』なわけだが)。もちろんそれぞれの作品はどれもたいへん面白く、毎週楽しく視聴することができる。しかし一歩引いて主人公の姿勢を考えてみると、それぞれの作品に生じる違いや、それによって起こるファン層の幅などが見えてきはしないだろうか。
ただ、それはジャンルを細分化して自分の好みにあわせた作品を見るべきだ、ということでは全くない。むしろこのような多様な作品をひとつにまとめうるところに「青春ラブコメ」というジャンルの魅力があり、「青春ラブコメ」だからという理由で様々な作品を視聴してみることこそがこのジャンルの楽しみかたなのではないかと筆者は常々考えている。ここで取り上げた3作品が連続で放送されるのには、このジャンルの広さを実感させるとともに、「青春ラブコメ」の楽しさを教えてくれる側面もある。「CloverWorks nights」の魅力はまさにこの点に宿っているのだ。