悪魔を恐れる人々こそが悪魔にもなりうる 『サタンがおまえを待っている』は現代人必見
日本の実写映画や漫画・アニメ作品では、いわゆる「因習村」――昔からの言い伝えやしきたり、あるいは儀式を、たとえ現代の価値観とは相容れずとも、頑なに守り続けている村落を題材としたホラー作品(最近はまた、モキュメンタリー的なアプローチも流行っているようだ)が依然として多い印象があるけれど、キリスト教圏において、それに対応するものがあるとするならば、それは「異教徒の秘密儀式」――とりわけ「悪魔(サタン)」と関係したものになるのかもしれない。
映画『サタンがおまえを待っている』は、1980年代から90年代にかけて、そんな「異教徒の秘密儀式」に対する潜在的な恐怖を北米の人々に植え付けることになった一冊の本と、それが巻き起こしたセンセーションの内実、さらにはその知られざる真実を、現在の観点から解き明かそうとする野心的なドキュメンタリー作品だ。
1980年、ミシェル・スミスとその担当精神科医であるローレンス・パズダーの共著という形で出版された一冊の本『ミシェル・リメンバーズ』(ミシェルは覚えている)が、アメリカで大ベストセラーとなった。そこに綴られていたのは、パズダー医師の催眠療法的なセラピーによって呼び起こされた、ミシェルの抑圧された記憶――幼少期の忌まわしい体験だった。彼女は5歳の頃、悪魔を崇拝する教団に引き渡され、約14カ月ものあいだ、檻に閉じ込められるなどの虐待を受け、そこで数々の恐ろしい儀式を目の当たりにしてきたというのだ。
人々の想像を遥かに超えたそのショッキングな内容は、新聞やラジオ、果てはテレビ番組に至るまで、ミシェルとパズダー医師が精力的に行った出版キャンペーンの効果も相まって、多くの人々の注目を集めると同時に、心底震え上がらせることになる。というのも、ミシェルとパズダー医師は、口をそろえて言うのだ。「これは私(彼女)だけの話ではありません。あなたのまわりにも、そしてあなたの子どもたちも、同様の被害にあっているかもしれません」。
本作『サタンがおまえを待っている』は、この一連の出来事に興味を持った配信者(ポッドキャスター)のインタビューを皮切りに、当時さまざまなメディアで積極的に発言していたミシェルとパズダー医師の貴重なアーカイブ映像や、パズダー医師が実際にミシェルに行っていたセラピーの生々しい音声記録、さらにはミシェルとパズダー医師の家族たち、警察官やFBI特別捜査官の証言、果ては名指しで標的にされた「サタン教会」の関係者の反論や、記憶科学や社会学といった現代の専門家たちによる見解など、多面的なアプローチでこの現象――いわゆる「サタニック・パニック(Satanic Panic)」の一種としてされているこの事態の全貌を捉えようとする。
今となっては、にわかには信じられないような事態ではあるものの(とはいえ当時、第一次オカルトブームが巻き起こっていた日本では、ノストラダムスの大予言や超能力、さらにはUFOといったものが、テレビをはじめとするメディアでもてはやされていた。そういう時代感ではあった)、それにしてもなぜ、このような本が、多くの人の注目集め、ベストセラーとなったのだろうか。
そこには、ミシェルとパズダー医師が2人とも敬虔なクリスチャンであったことはもちろん、2人から相談を受けた地元カナダの教会の司祭が、事態を重要視して教皇庁に報告。2人がローマ教皇に接見した事実があるなど、宗教的な「お墨付き」を与えられた一冊であったことも、少なからず大きな要因のひとつであったのだろう。
しかし、それ以上に重要なのは、当時のアメリカには、ミシェルのセンセーショナルな告白を受け入れる、時代的な情況があったということだ。というのも、当時のアメリカは、悪魔に取り憑かれた少女と神父の戦いを描いた映画『エクソシスト』(1973年)や、悪魔の子ダミアンの誕生を描いた映画『オーメン』(1976年)といった作品の大ヒットによって、「子どもと悪魔」という恐怖のイメージが浸透していたのだから。無論、それはあくまでもフィクションの世界の話だ。けれどもそれは、やがて「現実」となる。ミシェルとパズダー医師の話を受けて、「自分も幼少期に、同じような虐待を受けていた」と告白する人々が次々と現れ始めたのだ。そのなかには、ミシェル以上におぞましい体験を告白する者もいた。
さらに、同書の出版からしばらく経った1983年、カリフォルニア州のある保育園で41名の児童が性的虐待を受けたとする「マクマーティン事件」が大々的に報道される。その背景には、やはり悪魔信仰があるのだろうか。ミシェルとパズダー医師は、相談役として当該事件の真相究明に関与。児童たちが記憶を回復する手伝いをしたという。そう、彼女たちは、いつのまにかこの領域の専門家として、メディアの寵児となっていったのだ(実際パズダー医師は、ミシェルが受けたような経験を「悪魔的儀式虐待(SRA:Satanic Ritual Abuse)」と名づけ、あたかもそれが医学的根拠を持った話であるかのように定義した)。