『呪術廻戦』夏油傑の“闇堕ち”が象徴するものとは 『少年ジャンプ』が示す“新たな王道”
『呪術廻戦』の中で屈指の人気キャラである五条悟と夏油傑の過去を中心に描かれたエピソード「懐玉・玉折編」を、1本の映画としてまとめた『劇場版総集編 呪術廻戦 懐玉・玉折』が現在公開中だ。
まず、『呪術廻戦』を語る上で、作品全体を貫く「正しい死」というテーマを避けて通ることはできないだろう。そもそも『呪術廻戦』の第1話では、主人公・虎杖悠仁の祖父の「死とその正しさ」を巡る物語をきっかけに、彼は呪術師を目指すことになる。彼は祖父からの「オマエは強いから人を助けろ」「オマエは大勢に囲まれて死ね」という最期の言葉に導かれ、誰かを「間違った死」から救いつつ自らの命の正しさをも追求しながら、呪術高専に入ることを決断するのだ。
同様に、『呪術廻戦 懐玉・玉折』でも、特に2人の主人公のうち、夏油にとっては、「正しい死」というテーマが大きな意味を持つ。そして、本作における夏油の「親しいものの死」も彼を新たな運命へと導くこととなるのだが、その流れ自体は虎杖の始まりの物語とは真逆の構造と結末を迎えた見事な対比となっているといえるだろう。
声優・永瀬アンナが今振り返る『呪術廻戦』という存在 「“大人の階段”を登るきっかけに」
『劇場版総集編 呪術廻戦 懐玉・玉折』が、5月30日より公開中。本作は、呪術高専時代の五条悟や夏油傑の姿を描いた、TVアニメ『呪…本来「弱きを助け強きをくじく」「呪術は非術師を守るためにある」と語っていた夏油は、術師として、社会として、真っ当にあるべき姿を追求していた。しかし、護衛対象であった天内理子の死と、その死に対する世界のあり方に彼の正義は揺らぐ。また後輩である灰原雄の「できることを精一杯頑張るのは気持ちがいいです」というような言葉や明るさは、彼のその揺らぎを繋ぎ止めるかに見えたが、その灰原の死がさらに彼の選択を修羅に誘っていく。夏油にとっての「間違った死」が「術師というマラソンゲーム その果てにあるのが仲間の屍の山だとしたら」という迷いを生み、彼は呪術高専を辞め、世界に牙を向く選択を取るのだ。
こうして虎杖も夏油もきっかけは「親しいものの死」でありながら、一方は術師になり、他方は呪詛師となることを選ぶ。
夏油と虎杖に、作中での直接の接点はないものの、2人の間に存在する五条という男を媒介に、彼らの選んだ光と闇がより浮き彫りになる。それは、『呪術廻戦 懐玉・玉折』という総集編を見て改めて感じる部分であった。もちろん、こうしたストーリーの流れは原作通りのものなので、総集編ならではの良さとは言い難いかもしれない故、ここからは総集編だけでしか味わえない部分についても触れていきたいと思う。
原作にもアニメ版にもない、総集編オリジナルの要素といえるのは何よりも、キタニタツヤによる主題歌「青のすみか」のアコースティックバージョンを使用した特殊エンディングとその映像にあるだろう。
オープニングとしても使用されているこの楽曲とともに画面に流れるのは、夏油が去った後の五条たちの卒業式の写真や、夏油と五条が共に過ごした青春の時間を描いた写真だ。こうした、原作にこそ描かれてはいないが、確実に「存在している記憶」たちのイラストはアニメや原作で一度は本作に触れているというファンにも必見のものとなっている。
この時点までその天衣無縫さにより、筆者は完全に忘れていたが、現在の時間軸では既にいい大人の年齢である五条の、若かりし過去とその儚さを見て、アニメ『呪術廻戦』第1期 第6話と、劇場版『呪術廻戦0』でも五条が語る「若人から青春を取り上げるなんて許されていないんだよ、何人たりともね」というセリフもより深い意味を持って反復される。
劇場版『呪術廻戦 懐玉・玉折』が持つ総集編以上の意味 そこにあったどこまでも青い季節
『劇場版総集編 呪術廻戦 懐玉・玉折』が5月30日から劇場公開されている。本作は2023年の7月から8月にかけて放送されたアニメ…さらに、フル尺で流れる「青のすみか」のアコースティックバージョンにも残された、学校のチャイムのアレンジがまた、彼らの青春をより一層後戻りのできないノスタルジアに引き摺り込むという、尋常ではない演出が施されているのだ。こうして、単なる過去編にとどまらない『呪術廻戦 懐玉・玉折』は、『呪術廻戦』という物語の全てが深まる総集編として、今こそ劇場で見るべき作品なのである。が、その他の理由を述べる前に、まずは『週刊少年ジャンプ』(集英社)と「作品が描く死」の距離感の変化についておさらいしたい。