『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』の美点と欠点を徹底解説

 ストーリーはその後、より緊迫したものになっていく。エンティティは、核兵器保有各国の核兵器発射システムへの侵入を開始。疑心暗鬼に陥った各国は、まだ自国政府が兵器をコントロールできるうちに、機先を制して他国を攻撃する誘惑に駆られてしまう。まさに大虐殺のチキンゲームだ。

 極限状況に立たされたアメリカ政府も、悪魔の選択肢に手を伸ばそうとする。それは、おびただしい数の核兵器を発射し、各国の反撃能力を無効化してアメリカを救うというだけでなく、事後に生まれるだろうアメリカへの怨嗟や疑惑をかわすべく、アメリカの“適当な都市”にも核兵器を打ち込み、自国民をも大量殺戮することで国家を存続させようといった内容。妙にリアルで、あたかもポリティカルサスペンス映画を観ている感覚である。このあたりは、シリーズの新しい要素だといえよう。

 エンティティのソースコードが、海底に沈んだロシアの潜水艦「セヴァストポリ」に隠されていることをつかみ、さらには大統領や軍の協力を得たイーサンは、遠隔のチームと協力しながら、座標を特定しつつ海底に向かうという困難なミッションを成功させようとする。ここで、やはり第1作に登場していた、イーサンに出し抜かれたCIA職員ウィリアム・ダンロー(ロルフ・サクソン)がおよそ30年ぶりに再登場する。

 シリーズ中でも、このミッションはまさに「不可能」と呼べるような自滅必至の作戦であり、悲壮感すら漂っている。これまでイーサンが自分の命を一か八かの危険にさらすのは、ミッションが失敗した際での成り行き上が多かったが、今回はミッション自体が死に直結しているのだ。

 荒れた大海原への決死のダイブ、潜水艦での生き延びるための必死なあがきなど、ここでのイーサンの英雄的な行動は華々しいものではなく、事態を打開し自分の命を守るためのサバイバルである。こういった表現は、シリーズにおけるアクションの“新解釈”だといえる。このような新しい試みについては評価したい部分である。

 そして、南アフリカの地下にある巨大なデータセンターでの攻防と、空中での常軌を逸した戦いが、本作のクライマックスとなる。複葉機にしがみつき、めまぐるしく上下が入れ替わる曲芸的なアクションの数々をトム・クルーズが命綱をつけながら自身でこなし、いつもながら圧倒的に危険なスタントをこなしている。

 物語を締めるのは、ルーサーの演説かのようなメッセージだ。世界平和への願い、“見知らぬ誰かのため”生きる者たちの崇高さを謳い上げる。「ルーサーって、こんなキャラクターだったっけ?」とは思いつつも、過去シリーズのモンタージュを使用してまで、イーサンの“選択”を描き、核兵器による威嚇で秩序を保つ不寛容で猜疑的な世界の防衛問題を題材にした本作として、このくらい強い言葉がなければ幕を下ろせないという気持ちも理解できる。

 このような本作『ファイナル・レコニング』の特徴と美点を数え上げたのだから、本作に存在する数多くの欠点も指摘する必要がある。最も残念だったのは、シリーズを総括しようとする意向が強いため、前作以上に過去作に依存するコンセプトを採用したことだ。とくに本作では、過去の名シーンをモンタージュする演出がある。まさに「卒業式」で学生たちが学校生活を振り返る語りのような意味合いの場面であり、ルーサー校長の「贈る言葉」も用意される。

 果たして、このようなセレモニーが本当に必要だったのだろうか。これまでのシリーズは、深刻な題材が根底にありつつも、スリルやサスペンス、アクション、ときに恋愛描写が組み込まれた、タイトな娯楽大作として楽しめる内容だった。なかでもシリーズ第1作は、スパイチームがターゲットを騙すTVシリーズ『スパイ大作戦』と同じ設定でスタートしながら、初っ端からチームがほぼ全滅するといった展開でファンの度肝を抜き、その一部を怒らせてまで裏をかくトリッキーな脚本が魅力の、尖った名作であったといえる。

 そんな“攻めた”第1作に続き、6作目までの全ての作品に、それぞれの監督のエッジの立ったテイストが活かされ、大作でありながら作品ごとに全く違う色の光を放ったシリーズが『ミッション:インポッシブル』なのである。だからこそ、その内容が映画の枠を時代ごとに広げてきたといえるのだ。その上で娯楽映画として最高に楽しい内容に仕上げているという意味でも、まさに奇跡のシリーズだと言っていい。しかし本作を含んだ2部作は、過去作全てを包括するという、これまでとは真逆の姿勢を見せている。しかも、シリーズ全作を同じ色で塗ることで終幕を迎えてしまう。

 野暮ったく見えるモンタージュについては、好意的に解釈することもできる。じつは第1作でも、モンタージュが印象的に使われているからだ。それはイーサンが、死んでいたと思われていたジム・フェルプス(ジョン・ヴォイト)と再会し、彼の回想を聞く場面だ。ここが最高に面白いのは、ジムが話している内容と、回想のシーンの内容が食い違っていくところ。つまり、ジムが伝えようとしている話は嘘であり、イーサンがそのことに頭の中で気づいていることを表現しているのである。このアクロバティックな演出は、ブライアン・デ・パルマ監督らしい素晴らしい仕事だ。

 このようなモンタージュを、本作ではシリーズをまたいでおこなっているということであれば、マッカリー監督の挑戦的な意図も伝わってくる。とはいえ、それが第1作のような傑出したサスペンスになっているかといえば、そうは思えない。やはりどちらかといえば、ノスタルジーの方に傾いた趣向であること感じられてしまうのだ。

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