『大都会-闘いの日々-』に刻まれた“昭和”の空気 石原プロドラマの原点がここに

 1979年から5年にわたって放送された刑事ドラマ『西部警察』(テレビ朝日系)は、今なお多くの人の記憶に残る大ヒット番組だが、1976年にスタートした日本テレビ系のドラマ『大都会』シリーズなくして語れない構造を持っている。

 石原プロモーションが初めてテレビドラマの制作に乗り出したのが『大都会-闘いの日々-』(1976年)であり、この後に続く『大都会 PARTII』(1977年)、『大都会 PARTIII』(1978年)で徐々に番組のスケールアップを図り、テレビ朝日放送の『西部警察』(1979年)へと繋がるのである。つまり『大都会』がなければ『西部警察』も生まれなかったわけだ。その石原プロモーション制作の記念すべき第一作『大都会-闘いの日々-』が、3月11日からのホームドラマチャンネルでアンコール放送される。【記事の最後には特別グッズプレゼント企画あり】

 『大都会-闘いの日々-』(以下、『闘いの日々』)は、暴力団事件を扱う捜査第4課に所属する黒岩刑事とその妹、そして黒岩の同僚らを軸にしたシリアスな刑事ドラマだ。脚本は家族ドラマ『北の国から』(フジテレビ系)で知られる倉本聰が担当し、メインライターとして全エピソードの約半分を執筆した。『闘いの日々』が以降の『大都会』シリーズと異なる点は、硬派な人間ドラマにある。

 アクション面を強化した『大都会 PARTII』から番組の方向性が固まっていくが、派手さと引き換えに犯罪者の家族の悲哀、暴力事件に巻き込まれる市民の悲劇といった人間ドラマが減少した点は否めない。もちろんその方向転換は石原プロが目指したもので、全国各地で大がかりな爆破ロケを敢行した『西部警察』の高視聴率に結実するのだが、それゆえに『闘いの日々』でしか味わえない唯一無二のドラマがあるのも確かなのだ。

 黒岩の妹・恵子は、暴力団組織を追う兄への報復として集団暴行を受けた過去があり、それが作品の重苦しくハードな雰囲気にも結び付いている。明るい性格の恵子が時折見せる暗い影と、それを慮る兄の表情などは、後続のシリーズには見られない本作独特の雰囲気で、名シナリオライター倉本の面目躍如と言えるエピソードが序盤から並ぶ。

 『大都会』シリーズから『西部警察』に至るまで、作品全体には定型の“お約束”パターンがある。作品の顔はあくまで渡哲也だが、その頼れる先輩として石原裕次郎の大きな存在感があり、番組は渡&石原の2枚看板がセールスポイントということ。渡が扮する刑事には社会人の妹がいる(『大都会 PARTIII』を除く)。そして渡たちの捜査チームは“○○軍団”という通称で呼ばれている点などだ。

 『大都会』3作品の舞台は城西署、主人公の刑事の名は黒岩頼介で統一されているが、世界観が繋がっているわけではなく作品の雰囲気も異なる。3作品とも共通の俳優と、同じ名前の人物が出てくるが、いずれも別人というのが面白い。『闘いの日々』で裕次郎が演じる新聞記者・滝川の後輩役でデビューした神田正輝が、オープニングに「新人」とクレジットされているのも見ものだ。番組プロデューサー岡田晋吉の著書によると、当時スキー用品のテスターをしていた青年の神田を、演技経験が全くなかったにも関わらず裕次郎が芸能界に引っ張り込んだという(岡田晋吉 『太陽にほえろ!伝説』 日本テレビ・刊)。神田が演じる新米の事件記者・九条は、黒岩の妹と次第に恋愛関係を築いていく。

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