中村悠一が語る『るろうに剣心』人気の秘訣 斉藤壮馬との掛け合いで得た“新たな発見”

 面白い少年漫画には、必ずと言っていいほど主人公を導く「最強の師匠」が登場する。主人公の成長のために、時に厳しく、時に優しく背中を押す存在として。『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 京都動乱』でその役割を担うのが、飛天御剣流の使い手・比古清十郎である。

 作品屈指の人気エピソード「京都編」では、大久保利通暗殺を皮切りに明治政府転覆を企てる志々雄真実を阻止するため、緋村剣心は神谷薫たちと別れを告げ京都へと向かう。不殺の誓いと因縁の対決の狭間で揺れる剣心が最も成長するこの京都編で、飛天御剣流の道を極めた師匠である比古は、再び重要な役割を果たすことになる。

 そんな比古を演じるのは、声優の中村悠一。中学生時代から本作に親しみ、斎藤一の剣技・「牙突」の真似をして雨の日の帰り道を楽しんだという中村が、剣心役・斉藤壮馬との斬新な掛け合いを通して得た、新たな発見とは。

中村悠一が比古清十郎を演じるうえでの“重み”

ーー「自分が中学生の頃に観ていた作品で、雨の日の帰りに牙突をやっていた」とコメントされていましたが、当時の『るろうに剣心』への印象をお聞かせください。

中村悠一(以下、中村):当時の『週刊少年ジャンプ』(集英社)にもいろいろな連載作品があったんですが、歴史と剣客を題材に扱っている作品はそう多くなかったので、すごく新鮮な作品でした。当時の流行りといえば、『ドラゴンボール』のような格闘バトルものが主流で、武器を使う作品だと『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』のようなファンタジー作品が多かったんです。そんな中で『るろうに剣心』は、シリアスな要素を織り交ぜながらストーリーを展開していって、時代背景が物語に深く影響していたり、人間の感情をしっかり描いていたりする。そういう特別な輝きを放っていた作品という記憶がありますね。

ーー大人になって、改めて作品に触れていかがでしたか?

中村:今回、アニメの収録が決まって、「北海道編」まで全部読み返してみたんですけど、いろいろと忘れていることに気づきました。志々雄との戦いの記憶は鮮明に残っているんですけど、雪代縁との決着がどうなるのか……そのあたりは全然思い出せなくて。改めて読み返してみて「ああ、そうか、こんな展開だったな」と。友達の家で借りて読むこともあったんですけど、それこそ、自分で『ジャンプ』を毎週購入するようになったのが、「京都編」が終わって、その次の「人誅編」に入った頃だったと思うんですよね。

ーーそうだったんですね。今回アニメ化された「京都編」は、剣心と志々雄一派との戦いが大きな見どころになってきます。この章についてどのように捉えられましたか?

中村:作品の中で剣心が最も主体的に動いていたのは、やっぱり「京都編」だったんじゃないかと。自分の意志で戦いに挑んで、自分の手で状況を変えていこうとする。その後は少し色合いが変わって、どちらかというと贖罪の物語になっていくわけですよね。そう考えると、「京都編」というのは、剣心が自分の信念に従って前に進もうとする姿が最も濃密に描かれている。ある意味で『るろうに剣心』という作品が本来持っているテーマ性が、最も鮮やかに表現されている部分なんじゃないかと思っています。

ーー主人公の剣心はもちろんのこと、第一期では斎藤一や四乃森蒼紫などさまざまな人気キャラクターが登場しました。中村さんが「この人の生き様に惹かれる」というキャラクターはいますか?

中村:キャラクターの好き嫌いという感覚で作品を観ることはあまりないんですよね。僕自身、特定のキャラクターを「推す」という見方をしないタイプなので。いろいろなキャラクターがいるとは思うのですが、正直に言うと、蒼紫のキャラクターはあまり理解できないんです(笑)。

ーー四乃森蒼紫は作中屈指の人気キャラでもありますが、なぜでしょう?

中村:彼の行動を見ていると、自分の解釈を独りよがりに膨らませて、そのまま暴走しているような印象を受けてしまって。これは若い頃に読んだときも、今回改めて読み返したときも、同じ印象を受けました。ただし、キャラクターとしての魅力は間違いなくあると思います。蒼紫のファンの方々は彼の主張や行動に、何か共感できる部分を見出しているのかもしれません。ただ、僕自身は他の人とこの作品について語り合う機会がなかったので、純粋に自分の解釈だけで見ると……彼の気持ちはわかるような気もするんですが、「本当にそれでいいのかな?」という疑問が常に付きまとうんです。本来なら仲間のことを思い、彼らの立場を世に示したいという純粋な思いがあったはずなのに、気がつけばその思いが仲間を傷つける暴力に変質してしまっている。そういった、解決のつかないジレンマを抱えているからこそ、彼は魅力的なキャラクターとして多くの方の心を捉えたのかもしれません。それでも僕個人としては、やはり彼のことを完全には理解しきれないんですよね。

ーー第二期「京都動乱」の最大の敵である志々雄についてはいかがですか?

中村:実は、志々雄の方がまだ理解できるんです(笑)。周囲への接し方も蒼紫とは違いますし。同じ目的を持つ仲間がいて、その絆があったからこそ、志々雄の考え方や行動には筋が通っているように感じます。でも、蒼紫と志々雄って、ある意味似ているところがありますよね。特に、政府に都合よく利用されて、用済みになれば切り捨てられるという立場は共通しています。でも志々雄の場合、そうなることを最初から分かった上で動いていたんじゃないかと思うんです。

ーーその覚悟が、敵キャラながら滲み出る彼のカリスマ性にも繋がっているのかもしれないですね。

中村:「まさか自分が裏切られるなんて!」という驚きは全くなかったはずです。背後から刃を向けられる立場であることを承知で、それでもその状況の中に面白さや生きがいを見出していた。だから裏切られたことへの恨みというより、「やっぱりな」という思いが、世の中をもっとわかりやすいものに変えようという考えにつながっていったんだと思います。

ーー中村さんが演じる比古清十郎は剣心の師匠です。中村さんは比古をどのように捉えていらっしゃいますか。

中村:比古清十郎という人物は、ある意味で人生の目標地点に到達してしまっているんです。この作品の登場人物たちって、大きく二つに分かれるんですよね。時代の流れの中で侍が軽んじられていく現状に対して「もうこういう時代だから仕方ない」と受け入れる人たちと、それに抗おうとする人たち。その中で比古清十郎は、少し違う立ち位置にいる。達観していながらも何かを諦めているような、そんな枯れた雰囲気を持つ人物です。自分一人の力で変えられることなんて、本当に些細なことでしかない。たとえ圧倒的な剣術の力を持っていたとしても、国そのものを変えることはできない……そういう現実をしっかりと理解している。だからこそ彼は、自分の生活圏内の出来事以外には一切関わろうとしないんだと思います。それに人付き合いも嫌いだから、山奥に隠居して誰とも会わない生活を送っている。ただ、面白いことに、作品の中ではそういった彼の普段の生活や心情は、ほとんど描かれていないんです。

ーー物語は、剣心の視点が中心になって描かれますからね。

中村:そうなんです。剣心が来たときしかこの人は描かれないので、剣心がいないときに何をしているのか全く分からないんですよ。だからその虚無のような部分は何もない。描きようがないし、僕も演じようがない。なので、剣心と対面したときには、弟子に対して今持っている怒りとか、そういった感情的なものをぶつけなければいけない。今回の作品ではそこが重要なポイントになっていますけど、本質的には先ほど話したような人物なんじゃないかという気がします。

ーー中学生の頃から親しんできた作品へ、比古として出演が決まってどんな思いでしたか?

中村:僕と比古清十郎には、年齢的な接点があって。設定年齢がオーディションを受けたときの僕とちょうど同じくらいだったんです。その点では恵まれていたんですが、ただ、幕末という時代における40代前半の重みというか、それが持つ意味を考えると、現代の40代前半とは全然違う。今の自分より、もっと重みのある立ち位置になるなとか、いろいろと考えましたね。キャスティングしていただいて光栄なんですが、それだけに演技の難しさも感じていました。

ーー比古の登場シーンはほとんど剣心とのやりとりなので、演技面では斉藤さんとの掛け合いがメインということですよね。

中村:はい、これが本当に難しくて。一見会話をしているように見えて、実は全然かみ合っていないんです。というのも、登場人物同士の目的が全く違うんですよ。剣心は別に師匠と話をしたくて来たわけじゃなくて、この後の戦いに向けた修行の、いわばけじめをつけたいという思いで来ている。一方の比古は、ずっと姿を見せなかった弟子が突然現れて、勝手なことを言い出したことへの怒りや憤りから話をしているので。これが演技としても難しいところで。斉藤くんの演技や言葉は、実は僕の方には向いていないんです。自分自身に向かって語りかけている。それは作品としては正解なんですけど、本当の意味での会話として成立しない......そんな独特な掛け合いになりました。

ーー役者として、そういった特殊な対話シーンにどんな手応えを感じましたか?

中村:実は、演技としてはあまり面白くないんです。というのも、普通の会話のように相手からの反応があるわけじゃないから。まるで、お互いに人の話を聞かないおじさんとおばさんが言い合いをしているような感じというか(笑)。「これ、このあと何かあるの?」って思っちゃうような。ただ、これは序盤だけの状態なんです。実は徐々に、比古が会話を通して剣心の心に働きかけていく。「今のお前に足りないものは何か」とか「本当は何がしたいんだ」とか。それが最初から比古の狙いだったのかどうかは、正直、僕にもわからないんですけど。でも、この過程で剣心は気づきを得ていって、最後には「命を賭けることより、生きることへの意志の方が大切なんだ」ということを、実際の体験を通して悟っていく。これって、言葉だけじゃ絶対に伝わらないことですよね。

ーーそうですね。

中村:だから、一見するとただ言葉の応酬をしているような会話でも、実は比古側は少しずつ剣心の本心を引き出そうとしている。剣心自身は気づいていないかもしれませんが。言葉そのものじゃなくて、お互いの態度や、剣を交えた中でのやり取りを通じて、「こいつは今、こういうことを考えているんだな」と察しながら、次の一手を考えていく。そう考えると、これは実は普通の会話じゃないんですよね。会話という形を借りた、もっと深いコミュニケーションというか。だから演技ももちろん大切だけど、ここは演出や映像表現の中で視聴者の方々が自然と気づきを得ていく……そういう作りになっているんじゃないかなと思います。

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