『六人の嘘つきな大学生』はなぜ2部構成なのか? ミステリージャンルのその先へ
2部構成の不思議 ミステリーを否定するミステリー
これはミステリーなのか、それともサスペンスなのか? 本作を観た人はその展開に驚きと興奮を覚えるとともに、ジャンルとしてどう捉えるべきなのか悩むことだろう。浜辺美波、赤楚衛二、佐野勇斗といったキャスト陣の豪華さに留まらず、『六人の嘘つきな大学生』は非常に挑戦的な映画である。
動画配信やSNSを手掛ける超大手エンタテインメント企業・スピラリンクス。1万人もの入社志望者から残った6人の大学生に与えられた最後の課題は、チームを組んでグループディスカッションに臨むことだった。準備を重ねる中で意気投合、結果次第では全員に内定を出すと言われていたこともあり共に同僚になりたいと考えるようになっていた彼らはしかし、最終選考で決裂の危機を迎えることとなる。
スピラリンクスの人事部が突如方針を変更、採用人数を1人に絞ると通達してきたのだ。しかも、誰が内定者にふさわしいか議論するよう閉じ込められた会議室には彼らの信じがたい秘密を暴露する封筒が置かれていた。友情は嘘だったのか、彼らは互いの表向きの姿を見ていたに過ぎなかったのか? 嘘つきたちの本性は果たして……?
「ブランチBOOK大賞2021大賞」などを受賞した浅倉秋成の小説を原作とした映画『六人の嘘つきな大学生』は奇妙な構成の作品だ。一見すると密室の会話劇が中心といった印象を受けるが、予告編の終盤などで示されているようにそれは話の半分に過ぎない。本作は事件の後にある重大な事実が開示される2部構成をとっており、つまり一般的なミステリーの流れだけでは物語が完成していないのである。そこにどんでん返しの面白さがあるわけでもあるが、そもそもどうしてこんな形態を採っているのだろうか?
ミステリーにおいて通常、事件とは真実を暴くものだ。ひた隠しにしている秘密や過去、おぞましい行状、そしてそれらを突きつけられたときの醜態……善良そうだったり落ち着いて見えた人もひとたび事件となれば上っ面を剥がされ、その本性をさらけ出していく。トリックや犯人の正体に留まらず、人間の真実を解き明かすところもまたミステリーの魅力の一つと言える。
けれど一方で、事件が起きたときの人間は平静ではない。自分や誰かの破滅がかかっているとき、己の事情を間違えることなくしっかり説明したり、あるいは相手の話をしっかり受け止められる人間はそう多くない。事件の渦中に置かれたとき、かえって真実から遠くなってしまうのもまた人間というものなのだ。
本作の前半、何者かが仕掛けた封筒が暴露する大学生たちの秘密に嘘はない。犯人の推定も一定の論拠や根拠をもって行われる。手続きとしてはミステリーたり得ている、と言えるだろう。けれど一方、後半で明かされる事実が示すようにそれは全てではない。真実を突き止めているとは言えない。後述するように一般的なミステリーの手法を用いつつもその限界を指摘する、ミステリーを否定するミステリーとでも呼べる構造を本作は持っているのである。