『光る君へ』は大石静の描く“生きた物語” まひろと道長を繋ぐ、月の演出を読み解く

 いよいよまひろ(吉高由里子)の中に『源氏物語』が降りてきた。大石静が脚本を手掛ける大河ドラマ『光る君へ』(NHK総合)先週放送回、第31回における、思索に耽っていたまひろの周りを物語が文字通り舞う場面は、まさに『源氏物語』誕生の瞬間を示していた。

 本作のチーフ演出の中島由貴演出回である第31回は、これまでの『光る君へ』の物語が凝縮された集大成的な回であり、史実の流れの中に『源氏物語』のエッセンスを織り込んできた本作ならではの、すべてが繋がる回だった。本稿は、そんな第31回の秀逸さを、道長(柄本佑)とまひろの月を巡るエピソード、第31回に散りばめられた『源氏物語』と『光る君へ』という2つの観点から分析する。

 横並びの月は、何を意味しているのか。これまでもまひろと道長の恋のエピソードに、月は不可欠だった。人目を忍んで会い続ける二人の頭上を照らすのはいつも、一際美しい月の光だった。会えない時も、「誰かが、誰かが今、俺が観ている月を一緒に見ていると願いながら、俺は月を見上げてきた」と道長が言ったように、2人はよく月を眺めていた。

 つまり、月の場面は、まひろと道長が、片時も互いのことを忘れることなく生きてきたということの証明なのである。そんな中、第31回の月の場面の演出は異色だった。本来頭上にある月が、それぞれまひろの左側、道長の右側に、横並びで示されたのである。それは、前述した道長の台詞と、その前の「もしかしたら、月にも人がいて、こちらを見ているのやもしれません。それゆえ、こちらも見上げたくなるのやも」というまひろの台詞を踏まえているのだろう。

 本来道長の右側にまひろがいて、まひろの左側には道長がいて、並んで同じ月を見ているはずだ。にもかかわらず、本来相手がいる位置にある月は、2人がこれまで、まるで水鏡に自分の顔を映してみるように、月を通して互いを見つめていたのだということを示しているように思う。そして、こうも言えるのではないか。この時2人が見る月は、2人が対等であることを示しているのではないかということ。「あなたは上から政を改めて、私は民を1人でも2人でも救います」という第13回のまひろの言葉のように、まひろと、「帝の次に偉い人」である道長の間には、それこそ地上から見上げる月ほどの身分の差がある。そんな中、第31回における、過度に人目を忍ぶわけでも、身分を偽るわけでもなく、作家とクライアントとして正式に語らう2人の時間は、これまでにない時間だった。だから、2人が見る月は、同じ位置にあるのではないか。

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