アラン・ドロン最大の特徴は“二重性”だった 日本で愛された理由を映画評論家に聞く

 俳優アラン・ドロンが88歳で逝去した。映画ファンであれば確実に、映画ファンではなくとも、その出演作を観たことがなくても、「アラン・ドロン」という名前を聞いたことがある人は多いのではないだろうか。映画史に刻まれた作品に出演しているという以上に、日本における数少ない“映画スター”として多くの人に愛されたアラン・ドロン。彼は一体、日本でどのように受け入れられてきたのだろうか。

 映画評論家の荻野洋一氏は思春期の頃の記憶を紐解きながら、70年~80年代の日本におけるドロンの存在を次のように振り返った。

2019年のカンヌ国際映画祭でのアラン・ドロン(写真:REX/アフロ)

「1978年の秋に日本公開されたドロン主演の犯罪映画『チェイサー』(1977年/ジョルジュ・ロートネル監督)を、中学1年の時に劇場で観たのを覚えています。『チェイサー』は映画史に残る傑作と言えるような作品ではありませんが、当時も“アラン・ドロン”の名前だけで多くの観客を集めていました。外国人俳優の名前だけで観客が映画館に足を運ぶ。今ではなかなかイメージできないと思うのですが、そんなスター俳優の中でもドロンは飛び抜けた存在でした。当時は民放各局で21時から23時のゴールデンプライム帯に外国映画をほぼ毎日テレビ放送していました。ドロンの映画もたくさん放送され、女性を中心にファンの心を掴んでいた。そして、ドロンの日本語吹き替え版を務めた野沢那智さんの声優演技が素晴らしく、野沢さんが作り上げたダンディな声質がドロンの人気をさらに後押ししていたように思います。ドロンはTVCMにも多数出演していました。紳士服ブランド『ダーバン』や、ブランデーの『レミーマルタン』などのCMに起用されていて、“カッコいい”の象徴的な存在だったんです。出演作を観たことがない方にもその魅力が伝わっている。今の時代ではなかなか考えられないですよね」

『太陽がいっぱい』(写真:Everett Collection/アフロ)

 そんな“スター俳優”でありながらも、ドロンは大作映画だけに出続けていたわけではない。代表作『太陽がいっぱい』(1960年/ルネ・クレマン監督)のような大劇場でかかるエンタメ大作や、ジャン=ピエール・メルヴィル監督のハードボイルドな犯罪映画に多数出演する一方で、『若者のすべて』『太陽はひとりぼっち』『山猫』などはいずれも現在で言うならミニシアター作品に分類されるアート作品だ。荻野氏は、「アラン・ドロンの最大の特徴は“二重性”にある」と分析する。

「ルネ・クレマン、ルキーノ・ヴィスコンティ、ミケランジェロ・アントニオーニ、ジョセフ・ロージーなど、映画史に刻まれる映画作家たちの作品にもドロンは出演しています。そして、それらの作品で演じた役柄の多くで共通していたのが“なりすまし”という点。完璧な容姿をもちながら、内面に暗い野望を秘めたキャラクターを演じるのが抜群に上手かった。名匠たちがドロンを自身の作品に抜擢したのも、この“二重性”に惹かれたからだと思います。出演している作品にも、演じている役柄にも“二重性”がある。スターと呼ばれる俳優の中でも、ここまでの二重性を持った人はなかなかいないのではないでしょうか」

『若者のすべて』(写真:Photofest/アフロ)

 荻野氏がドロンの出演作の中で最高傑作の一本としてあげたのが、ルキーノ・ヴィスコンティ監督『若者のすべて』(1960年)だ。

「『若者のすべて』でドロンの演じた、田舎から出てきたロッコ少年は、ボクサーとして成功しながら、家庭の悲劇に見舞われます。ドロン自身の恵まれない少年期や戦争体験が、この役柄に深みを与えているように感じます。ドロン自身も、『なぜ悲劇的な役が多いかって? 悲しい幼年期を送り、17歳で(インドシナ)戦争に行き、人生の悲劇を若くして体験したことで、映画に呼ばれた時、それが私の身体を通してそこに映り込んでいったのだと思う』とインタビューで語っているように(※)、華麗さの奥にある影が、今も多くの観客を魅了している理由のひとつなのだと思います」

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