小川紗良「かけだしの映画たち」

『ルックバック』が“捨てなかった”表現することへの希望 灯された光をいつまでも胸に

 漫画でもアニメでも最も印象深かったのが、藤野が初めて京本と対面した日の帰り道、不器用なステップで雨のあぜ道を駆けていくシーンだ。卒業式の晴れ着がずぶ濡れになることも、履き慣れないローファーが泥だらけになることも、すべてを凌駕する「自分の表現が誰かに届いた喜び」。それは藤野にとってかけがえのない原点であり、漫画を描き続ける動機となる。その喜びを祝福するあのシーンが、原作を読み返すとたったの見開き1ページであったことに驚いた。その1ページから想像した、とめどない興奮を、アニメーションがさらに膨らませてくれた。「藤野ちゃんはなんで描いてるの?」その問いかけの答えが、あのひとときに詰まっている。

 劇場アニメ『ルックバック』は光の灯る作品だった。部屋から飛び出す瞬間の、真っ白な光。雪のなかふたりで漫画雑誌を見に行った、夜のコンビニの蛍光灯。京本の手を引く藤野を包む、まばゆい逆光。都会から帰る電車に差し込む、あたたかな夕日。光があまりに美しいからこそ、そこに影がさしたとき、深い闇に覆われる。「描いても何も役にたたないのに」、そう呟いて廊下でひとり、虚しさに苛まれる。途方もない暗がりのなか、微かに白く光ったのは、京本の書いた4コマ漫画だった。「背中を見て」と書かれた1枚に、藤野は立ちあがり、後ろを(過去を)振り返る。

 遺された藤野の生きる世界で、それを観る私たちの現実世界で、未だ悲しみは癒えないし、芸術は奪われたものを取り戻せるわけではない。ただ、祈ることしかできない。その「祈り」が、藤野にとっては「描く」ことだった。都会のビル群を望む大きな窓、大きなデスクトップの前で、ちょっと歪んだ後ろ姿はあの頃と変わらず、朝から晩まで描き続ける。太陽が昇り、やがて暮れ、夜空に小さな月が灯る。藤野と京本、照らし照らされたふたりのように、移りゆく光。さらにエンドロールとともに、haruka nakamuraの「Light song」が降りそそぐ。劇場アニメ『ルックバック』はどこまでも、表現することへの希望を捨てなかった。その灯りは、この作品を観たたくさんの「藤野」や「京本」たちの、歩む道を照らしているだろう。

■公開情報
『ルックバック』
全国公開中
原作:藤本タツキ『ルックバック』(集英社ジャンプコミックス刊)
監督・脚本・キャラクターデザイン:押山清高
出演:河合優実、吉田美月喜
音楽:haruka nakamura 
アニメーション制作:スタジオドリアン
配給:エイベックス・ピクチャーズ
©藤本タツキ/集英社 ©2024「ルックバック」製作委員会
公式サイト:lookback-anime.com
公式X(旧Twitter):@lookback_anime

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