『関心領域』にはなぜ英語のセリフがないのか? 英語圏の“非英語作品”を考える

移民の国アメリカ

 アメリカは移民の国であり、人口の大多数を先住民族ではなく他国、他地域からの移民が占める。

 『ゴッドファーザー PART II』は移民の国・アメリカを描いた古い例である。同作はアカデミー賞を受賞し、大ヒットした名作映画の続編でありながら、アカデミー賞の作品賞、監督賞、脚色賞などを受賞した。物語は全く異なる2人の主人公の2つの異なる時代を描いている。ひとつはマフィアのドンになったマイケル・コルレオーネを主人公に、舞台は1958年のアメリカ・ネヴァダ州に設定されている。こちらのパートはほぼ全編英語である。

 もうひとつは若き日の先代ドン、ヴィトー・コルレオーネのパートである。

 1901年のイタリア王国・シチリア島コルレオーネ村から始まり、1910年代のアメリカ・ニューヨークのイタリア人街が主な舞台となる。

 こちらのパートはほぼ全編がイタリア語で、英語のセリフはごく一部分しかない。ヴィトー・コルレオーネを演じたロバート・デ・ニーロはイタリア人ではなく、ニューヨーク出身のイタリア系アメリカ人だが、本作のためにイタリア語を習得して臨んでいる。しかも、ヴィトーがシチリア出身の設定のため、実際にシチリア島に住んで、標準イタリア語ではなくシチリア方言を習得したほどのこだわりである。デ・ニーロの狂気ともいえる役作りは高く評価され、ほぼ全編が外国語の演技であるにもかかわらず、アカデミー賞助演男優賞を受賞した。

 ほぼ全編外国語の演技で、アカデミー賞の演技部門を受賞した例は、ソフィア・ローレン(イタリア語/主演女優賞/『ふたりの女』)、ロベルト・ベニーニ(イタリア語/主演男優賞/『ライフ・イズ・ビューティフル』)、ベニチオ・デル・トロ(スペイン語/助演男優賞/『トラフィック』)、マリオン・コティヤール(フランス語/主演女優賞/『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』)、ユン・ヨジョン(韓国語/助演女優賞/『ミナリ』)など限られた例しかない。

 『ミナリ』も移民を題材にしたアメリカ映画だが、こちらも珍しいことに半分以上が非英語(韓国語)の作品である。血生臭い『ゴッドファーザー PART II』に比べるとオーソドックスなドラマ作品であり、監督のリー・アイザック・チョン自身も韓国系移民の子孫である。劇中の主な舞台はアーカンソー州で主人公の韓国系一家は小さな農場を営んでいる設定だが、どうやらこれは監督自身の自伝的な要素が含まれているようだ。本作も英語以外の言語が大量に使われているが、高く評価され、アカデミー賞で主要部門を含む6部門(作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞、助演女優賞、作曲賞)の候補になった。ユン・ヨジョンはほとんどのセリフが韓国語だったにもかかわらず、助演女優賞を受賞している。同部門を受賞したアジア人はナンシー梅木以来であり、実に63年ぶりの快挙となった。

 また、こちらは移民というテーマを前面に押し出しているわけでではないが、第95回アカデミー賞を賑わせた『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』も、中国系移民の主人公一家がかなりの割合で中国語のセリフを話している。

死語を蘇らせたメル・ギブソン

 メル・ギブソンはアメリカ人(オーストラリアでデビューしたためオーストラリア人と誤認されがちだが、ニューヨーク出身)で、英語以外の言語が堪能との話は聞いたことがないが、自身の監督作では異様なこだわりを見せている。

 『パッション』はキリスト教の祖となったイエス・キリストことナザレのイエス、最後の1日を描いている。過激な暴力描写と独特の宗教解釈で物議を醸した異色作だが、全編に現代では絶滅危惧種のアラム語とラテン語が使われている。アラム語はシリア国内にわずかに専門家が残るのみであり、長引くシリア内戦の影響で消滅が危惧されている。ラテン語はかつてローマ帝国の公用語だったが、現代では形式上公用語になっているバチカン市国の聖職者でも不得手な人が珍しくない。少なくとも母語話者は存在しない。紀元一世紀の人物が現代英語を話している筈が無いので、常識的には当たり前の表現なのだが、「イエス・キリストが英語を話しているのは変だ」とケチをつける映画ファンはあまりいないだろう。かなりのこだわりぶりである。

 スペイン人侵略直前のユカタン半島を舞台にした『アポカリプト』は全編マヤ語が用いられている。現在の中南米は広くスペイン語が公用語になっているが、もともとは先住民族の言葉であるマヤ語族が使われていた。時代設定を考えると当たり前なのだが、ここまでこだわった例を筆者は他に知らない。『アポカリプト』は批評的に高く評価され、ゴールデングローブ賞、英国アカデミー賞、放送映画批評家協会賞の外国語映画賞候補になった(アカデミー賞では規定により外国語映画賞の対象外)。

 こちらはまだ現役で使われている言葉だが、珍しい少数言語が使われた例として、『コット、はじまりの夏』がある。英語圏のアイルランドの映画だが、アイルランド語が大量に使われている。アイルランド語はアイルランド共和国の第一公用語だが、あくまでも形式上のものであり、アイルランド語の話者は人口500万人ほどのアイルランド共和国の40%程度に過ぎない。念のために注釈すると、その40%程度は英語とアイルランド語の二言語話者であり、アイルランドは基本的には英語圏である。『コット、はじまりの夏』は高く評価され、アカデミー賞国際長編映画賞の候補になった。筆者が知る限り、唯一のアイルランド語で製作されたアカデミー賞候補作である。

オリジナル言語へのこだわり

 ハリウッドは商業規模が大きく、ウケそうなネタには敏感である。外国語のコンテンツでも良いネタであればどんどん採用する。香港映画の『インファナル・アフェア』をリメイクし、アカデミー賞作品賞を受賞した『ディパーテッド』、フランス映画の『エール!』をリメイクし、アカデミー賞作品賞を受賞した『コーダ あいのうた』などがその例である。

 非英語作品の小説、マンガ、ノンフィクションを原作に用いることも珍しくない。最近では山田太一の小説『異人たちとの夏』がイギリスで『異人たち』として映画化され、高く評価された。舞台はイギリスに置き換えられ、大きく設定が変更されている。『朗読者』はドイツ語の小説だが、『愛を読むひと』として映画になり、こちらは全編英語である。舞台はドイツのままだが、非ドイツ語話者のケイト・ウィンスレット、レイフ・ファインズなどはもちろん、ドイツ語ネイティブのブルーノ・ガンツまで全員英語である。映画自体は高く評価され、ケイト・ウィンスレットはアカデミー主演女優賞を受賞した。『ラストエンペラー』は満州最後の皇帝・愛新覚羅溥儀の自伝を原作にしている。中国の紫禁城で大々的なロケを行い、アジア系の俳優がメインキャストとして起用されているが、全編英語である。映画自体は高く評価され、アカデミー賞では作品賞、監督賞、脚色賞などを含む9部門を受賞した。

 日本のマンガ『ルーズ戦記 オールドボーイ』は珍しい例で、まず韓国で舞台を韓国に置き換えて大幅に脚色されて映画化された。映画は高く評価され、カンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリを受賞した。その後、映画版の『オールド・ボーイ』がアメリカでリメイクされ、全く違うプロダクション、まったく違う言語で二度映像化されたことになる(厳密に言うと、2013年のアメリカ映画は韓国映画の『オールド・ボーイ』のリメイクであり、日本のマンガが原作ではない。映画と原作は特に終盤の展開が全く異なり、アメリカ映画の『オールド・ボーイ』は韓国映画の展開を踏襲している)。

 英語圏のマーケットを考えると、舞台を英語圏に変更する、舞台は変えずに言語を英語に変えるのは、合理的な判断と言わざるを得ないだろう。だが、例外もある。

 20世紀で最も有名な革命家であろう、チェ・ゲバラ(エルネスト・ゲバラ)を主人公にした伝記映画『チェ 28歳の革命』『チェ 39歳 別れの手紙』2部作がその珍しい例の一例だ。監督は『トラフィック』『エリン・ブロコビッチ』などで知られるアカデミー賞監督のスティーヴン・ソダーバーグだが、彼はアメリカ人であり、同作はアメリカ資本のれっきとしたアメリカ映画である。にもかかわらず、映画はほぼ全編スペイン語で、英語のセリフはごく一部しかない。アメリカとキューバの関係もあるためか、キャストは主にキューバ人ではなく、中南米の連合軍(プエルトリコ、コロンビア、メキシコなど)だが、スペイン語非ネイティブのフランカ・ポテンテ(ドイツ出身)、マット・デイモン(アメリカ出身)に至るまで全員スペイン語を話している。ゲバラを演じたベニチオ・デル・トロは本作でカンヌ国際映画祭の男優賞を受賞している。

 『君のためなら千回でも』もそういった珍しい例の一つである。カーレド・ホッセイニの小説を原作とする本作は、舞台の前半部分がアフガニスタンになっている。原作は英語で出版されているが、映画本編のアフガニスタンパートは現地語であるダリー語が用いられている。念のために注釈しておくが、本作も『チェ』2部作と同じくアメリカ資本のれっきとしたアメリカ映画である。原作者はアフガニスタン出身、監督はスイス人、脚本はアメリカ人というインターナショナルな陣容で、このような表現に落ち着いたところが面白い。作品は高く評価されゴールデングローブ賞外国語映画賞候補になったが、『硫黄島からの手紙』や『アポカリプト』と同様の理由で、アカデミー賞の国際長編部門では対象外になった。

 『潜水服は蝶の夢を見る』もまた同様の珍しい例である。原作はフランス人のジャーナリスト、ジャン=ドミニック・ボービーの回顧録だが、製作はアメリカ/フランスの会社による共同資本で、プロデューサーにはアメリカ人のキャスリーン・ケネディが就任した。当初はジョニー・デップを主演に進める予定だったが『パイレーツ・オブ・カリビアン』の撮影スケジュールとの兼ね合いでデップは降板した。恐らく、この時点では英語圏の俳優がフランス語訛りの英語か、イギリス英語で演じる予定だったのだろう。しかしその後、監督のジュリアン・シュナーベルがスタジオを説得し、原作通り全編フランス語で製作されることになった。結果本作は、アメリカ人のプロデューサー、アメリカ人の映画監督、イギリス人の脚本家であるにもかかわらず、全編がフランス語の非英語作品になっている。映画は高く評価され、フランス語での製作を主張したシュナーベルはフランス語の本場であるカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞し、地元アメリカのアカデミー賞でも監督賞候補になった。ゴールデングローブ賞では最優秀外国語映画賞を受賞したが、こちらもアカデミー賞の国際長編部門では対象外になった。

■公開情報
『関心領域』
新宿ピカデリーほかにて公開中
出演:クリスティアン・フリーデル、ザンドラ・ヒュラー
監督・脚本:ジョナサン・グレイザー
原作:マーティン・エイミス
撮影監督:ウカシュ・ジャル
音楽:ミカ・レヴィ
配給:ハピネットファントム・スタジオ
2023年/アメリカ・イギリス・ポーランド/原題:The Zone of Interest
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公式サイト:https://happinet-phantom.com/thezoneofinterest/
公式X(旧Twitter):@ZOI_movie

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