“違和感”に耐えられない視聴者が増加? テレビドラマの過去と未来を守るために必要なこと

震災と幽霊

成馬:2021年は震災から10年後という節目となる年で『ペペロンチーノ』(NHK BS)等の震災と向き合うドラマが多数作られましたが、この本では震災とテレビドラマの関わりについて書かれた幕間エッセイで、NHK連続テレビ小説『カーネーション』を取り上げています。震災を描いたドラマから「死者とどう向き合うか?」というテーマを読み解くのは岡室さんならではの切り口だと思いました。

岡室:『11人もいる!』(テレビ朝日系)や『カーネーション』など震災以降は幽霊のドラマが増えたとずっと思っていて。「死者と共に生きる」ことはドラマならできるということに気がついたんですね。NHKスペシャルでも被災地で津波で亡くなった方を見たという目撃例が多いというドキュメンタリーを放送して、放送では幽霊という表現は周到に避けていたのですが、「Nスペともあろうものが幽霊を扱うとは何事だ?」という批判も多くドキュメンタリーで扱うことの限界も見せてしまった。でも、ドラマなら「死者と共に生きる」という気持ちを掬い上げることができる。渡辺あやさんが「フィクションは『死んだ人は幸せだった』と言える」とインタビューでおっしゃっていたのですが、フィクションだから言い切れることがあって、それが「幽霊」の描写に表現されているのだと思います。

成馬:『すいか』でも亡くなった人がお盆に戻ってくる幽霊譚がありましたよね。震災以前から木皿泉さんは死者との対話を繰り返し描いていて、震災後に木皿さんのドラマのことを思い出す機会は多かったですね。

岡室:震災後に木皿さんが書かれた『昨夜のカレー、明日のパン』(NHK BS)と『富士ファミリー』(NHK総合)も幽霊の話でしたよね。私は『昨夜のカレー、明日のパン』で星野源が幽霊になって戻ってくる回を何十回と観てるんですけど、毎回号泣するんですね。本当に素敵な幽霊が出てくるんだけど、幽霊になると傷が消えちゃうという話で、だからその傷の痛みがあるっていう事自体が「生きてることの証なんだ」という話で本当に感動するんです。

成馬:本を読んでいると、岡室さん自身が死者や幽霊というモチーフに強いこだわりを持っているように感じるのですが。

岡室:私はオカルト芸術論の授業もやってるので、「生と死を断絶ではなく、連続として考える」っていうことに昔から興味あるんです。確かにそれで反応したのかもしれないですね。

成馬:僕の場合は「生と死の連続性」を「虚実の混濁」として捉えているのかもしれないです。

岡室:なるほど、そうとも言えるかもしれませんね。実は私が研究しているベケットの作品にも幽霊的な存在が多く登場するんですよ。

成馬:ホラー映画的な恐怖の対象としての幽霊とは違う描き方があるっていうことですね。

岡室:震災後の幽霊って怖い幽霊じゃなくて、家族を見守る温かい幽霊がほとんどなんです。震災以降、「死んだら終わり」っていうふうに思えなくなっちゃったんじゃないかと思います。

成馬:それにしても激動の時代ですよね。2019年~2022年の短い間にこんなにいろんなことがあったんだとドラマ評を読んでいて思いました。

岡室:そうなんですよ。本当にこのわずか4年間の連載の間に怒涛のようにいろいろなことが起こったんです。元号が平成から令和に変わり、コロナのパンデミックが起こって自粛期間となってテレビの撮影現場が止まり、オリンピックが延期されて、安倍元首相の事件が起こり、ロシアがウクライナに侵攻した。ドラマに直接関係がなくても、間接的には影響があったと思います。

成馬:コラムで個別に扱っているのは第49回の『silent』(フジテレビ系)が最後ですね。コラムを書かれたのは2023年ですが。

岡室:2023年の3月で連載が終わりますと言われて、じゃあ最後の3回はテレビドラマの過去・現在・未来の話にしようと思ったんです。

成馬:この本で2022年までのドラマ史は総括できたという感じですか?

岡室:どうですかね。『半沢直樹』(TBS系)のような一世を風靡したドラマについても記録として残すべきだったのかなぁと思います。コロナ禍のあいだに放送された2020年度版の『半沢直樹』は至近距離で怒鳴り合うという行為がドラマに没入させなくしていた側面があったと思うんですね。みんながマスクをして距離をとって話している時にマスクもせずに至近距離で怒鳴り合うっていうことに対して拒否反応を示していた人が当時はそれなりにいたんです。

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成馬:近年の傾向として、言葉で殴り合うようなディスカッションドラマに対して、特に若い人が拒絶反応を示す機会が増えているような気がします。逆に、生方美久さんの『silent』や『いちばんすきな花』(フジテレビ系)で描かれる対話はものすごく静かで理性的なやりとりですよね。あの会話の作法もコロナ禍を経て出てきたものだと思うのですが、『silent』を観た時は新しい作家が出てきたなぁと思いました。

岡室:『silemt』の凄いところは、湊斗くん(鈴鹿央士)を生み出したことにあると思うんです。私の世代では、湊斗くんの在り方ってありえない。だからいつ闇堕ちするかと思っていたのですが(笑)、そもそも闇というものが存在しない人なんですよね。それが今の若い人たちにすごく刺さった。

成馬:『いちばんすきな花』もそうですが、生方さんのドラマを観てどう思うかに、凄くその人の考え方が出るような気がするんですよね。だから『silent』の感想を人に聞くのが凄く面白かった。やっぱり僕と同世代や上の世代に話を聞くと褒めていてもあの善良で優しい世界に困惑してて、逆に20代前後の若い人に話を聞くと「当然でしょ」みたいな感じで。

岡室:私も授業で学生と議論しました。私も『silent』はコミュニケーションをテーマとしたとても良いドラマだったと思うのですが、湊斗くんをはじめとして純度の高い良い人たちばかり出てきて、現実はそうじゃないよねという思いも捨てきれなかった。でも一方で、なぜ湊斗くんのような人が若い人たちに求められるのかを考えさせられました。それは若い人たちが置かれた状況を考えることでもあるし、それをつくってきた私たちの世代への批評でもあると感じました。

作品を守るために必要なこと

成馬:そもそも岡室さんはいつ頃からドラマについて書き始めたのですか?

岡室:きっかけはTwitter(現・X)ですね。以前、『木更津キャッツアイ』(TBS系)についての論文を書いたこともあるんですが、その時はあまりうまく書けなくて。その後、2011年頃にTwitterでドラマについて呟くようになってから状況が大きく変わりました。Twitterがまだ幸せだった時代で、みんなといっしょに『カーネーション』や『あまちゃん』についてたくさんツイートしていたのですが、それを目に留めてくれた新聞社の方が取材してくださるようになって、本も書いてないのにテレビドラマについて書いたり語ったりする仕事がいろいろ来るようになりました。

成馬:そこから「テレビドラマ博覧会」までわずか数年だと考えると急展開ですね。

岡室:ずっと演劇研究者をやってきましたが、テレビドラマは子どもの頃からずっと好きだったんですよ。だからせっかく館長になったので任期中にテレビドラマの展覧会をやりたいなと思ってたんですけど、ある日『想い出づくり。』(TBS系)や『ふぞろいの林檎たち』(TBS系)といった作品のプロデューサーでテレビ界の大御所の大山勝美さんから「テレビドラマ展」をやってほしいというお電話をいただいて。残念ながらその数日後に大山さんは亡くなられたのですが、遺言を受け取ったつもりで2017年に演劇博物館で『テレビの見る夢――大テレビドラマ博覧会』と『山田太一展』を開催することになりました。

成馬:『大テレビドラマ博覧会』を開催する上で何か心がけたことはありますか?

岡室:昔のドラマをアナログのテレビで見せるために、ブラウン管のテレビを大量に集めてもらいました。あと、とにかく主観的なドラマ展をやりたいと思いました。私はテレビドラマは主観的にしか語れないとどこかで思っているので、あくまで私にとってのテレビドラマ史なんですよね。

成馬:それはこの本にも表れていますね。ドラマ史的に重要な作品に触れてないなぁと思うと意外な作品を重要な作品として扱っていて。でも、そこに岡室さんの個性が出ていると思うんです。演劇博物館の館長のほかにもフジテレビ番組審議会委員や文化審議会委員など岡室さんは放送関係の役員や委員の仕事にも多数関わっていますが、それはやはり大学教授としての使命感からですか?

岡室:テレビドラマを研究してる人って意外と少ないんですよね。私ももともとの専門は演劇ですし。とにかく、テレビドラマ研究を始める前の子供の頃から本当にドラマが大好きでものすごく観てきたんですよ。だから「観てきた」ということしか私にはないんだけど、でもそうやって、ちゃんとテレビドラマ愛のある人間が公的な場所で語ること、現場の人は現場の人の感覚があるし、普段、ドラマに触れていない人が独自の視点で語ることの面白さもあるんですけど、作り手とは違う第三者的な立場からドラマ史を踏まえた上で語ることはとても大事なんじゃないかと思っています。私が人よりうまく語れると思ってるわけでは全然ないし、キャリア的にも未熟ですが、そういう機会が与えられるんだったら、ちゃんとそこで語っていこうと思います。

成馬:『大テレビドラマ博覧会』はすごくやったことに意義のあるイベントだったと思うんです。ああいう博覧会をアカデミックな場所でできたことの意味はとても大きくて、テレビドラマを歴史的に位置付けて社会的な立場を高めることができる。

岡室:私ごときが言うのもおこがましいんですが、公的な場所で発言することで少しでも放送の地位を上げていきたいんですよね。放送って芸術と思われていないところがあるじゃないですか。「芸術が偉いのか?」という気持ちは凄くありますし、むしろ芸術ではないところがテレビの良さとも思うのですが、一方で人の心の奥底に届くような芸術性の高いドラマは確実に存在するし、テレビの影響力は今でもとても大きい。なのに蚊帳の外に置かれている状況に対する憤りがいつもあって。テレビ業界の人も「放送はいいですから」なんて言う方もいて、私のやっていることが良いことなのかどうかは本当はよくわからないんですね。ただ大学でテレビについて教え始めた時に、これだけ多くの人に影響を与えているのに「スルーされすぎじゃないか?」みたいな気持ちはあって。だから新しい学部ができるときに同僚でテレビ研究の先輩だった長谷正人さんと「テレビのことをちゃんとやりましょう」という話をしました。

成馬:大学ではテレビドラマについて、どのように教えているのですか?

岡室:はじめに長谷さんとテレビ文化論っていう講義と演習を作って、最初は二人で両方やってたんですけど、両方やるのは負担なので、長谷さんが講義をやり、私が演習をやっています。演習では様々なドラマを取り上げているのですが、私も講義をやりたくなってテレビ史という授業を作って、テレビ草創期から現代にいたるまでに放送された良いと思うドラマを取り上げて喋っています。演習では、上から目線で批評するのではなく、できるだけ深く掘り下げて学生たちに豊かに受容してもらうことを心がけています。

成馬:いつごろ始めたのですか?

岡室:テレビ文化論は2008年、テレビ史は2020年ですね。テレビ史を立ち上げた途端にコロナになってオンデマンド授業になったんですよ。だからすごく大変だったんですけど、ちょうど著作権法の改正案が施行された時期で、大学のオンライン授業でも映像を引用していいってことになって。面白いのは、みんな家で課題の作品を観ているので、家族と一緒に観てる学生が多かったんですよ。『ロングバケーション』(フジテレビ系)の話が出て、お母さんが盛り上がりましたと言われたり。ドラマってやっぱり人の記憶を喚起するものだなってことを改めて思いました。演習はいろんな作品を取り上げて、研究発表してもらうのですが、現代のコンプライアンス的な価値観で過去のドラマを断罪する学生もいて、なかなか難しいなぁと思います。

成馬:どう対応しているのですか?

岡室:「当時の価値観について」まずは説明をします。今の私たちの感覚で作品を批判すること自体は否定しないのですが「こういうことが容認されてた時代だったんだ」ということも踏まえてみないと作品の中に入っていけないとは伝えます。

成馬:この本を読んで感銘を受けたのは『あしたの家族』(TBS系)について書かれた第11回なんです。岡室さんが「ドラマ批評をやっている経験からすれば、違和感を抱く箇所こそ重要である」と書かれていて、大変共感しました。

岡室:私が言うのもおこがましいと思ったのですが、「これを書かないと続けられない」と思って書きました。

成馬:この一文があるだけでも、この新書が出版された意味はあると思います。逆にいうと今の視聴者は違和感を欠点だと思っていて、いつも減点法で考えている。それがとても居心地が悪かったので「よくぞ、書いてくれた」と拍手喝采でした。

岡室:主人公が一度結婚に失敗したのに、新たに出会った人と盛大な結婚式を挙げたり、結婚後に、最初の夫と住むはずだった家に住むことへの違和感を理由に『あしたの家族』を批判する投稿が幾つかあったんですよね。なんで主人公があえてそういう決意をしたかが大事なのに、一般的な価値観で叩かれるのは切ないと思って、書いておきたかったというのはあります。

成馬:視聴者が違和感に耐えられなくなっている。少し前は、むしろ違和感を楽しんでたのに。

岡室:正しい人が正しいことをやらないと怒られますよね。作り手が違和感を差し挟むって、それこそ「はて?」と思わせることなので、違和感がないと面白くないですよね。

成馬:作り手の主張と捉えて、間違っていると批判してしまう。『不適切にもほどがある!』の時は特にそれが顕著でSNSの反応を見ていて苦しかったです。

岡室:宮藤官九郎さんのドラマって、誰一人として正しい人は出てこないじゃないですか。登場人物が皆どこか間違えていて、視聴者はそれこそ「不適切」であることを批評的に見ながら、それが自分にも返ってくるというドラマなんだと思うんですよね。

成馬:たとえば、名作と名高い山田太一さんの『想い出づくり。』ですら、現代の価値観で観るとギョッとする場面がありますよね。今は神格化されていますが、部分的に切り取られてSNSに流されたら、いつ炎上してもおかしくないと思うんですよ。

岡室:特に今は映像の一部分を切り取って批判されてしまうので、いくらでも叩かれてしまうんですよね。私はデジタルアーカイブの集まりで「放送のアーカイブをどうやって開いてもらうか」という勉強会をやっているのですが、テレビ局はすごく貴重なアーカイブを持ってるけれど、なかなかアクセスできない。それをどうやったら開いてもらえるかを考えているのですが、同時に古いドラマを表現としてどうやって守るかということも考えないと、放送アーカイブの公開は前進しないと思っています。

成馬:作り手を守るためにも、作られた時代の価値観を踏まえたドラマ批評が必要になっていくのかもしれないですね。

岡室:おっしゃるとおりだと思います。テレビは「時代を映す鏡」だからこそ、そういう批評が大事になっていくと思います。

■書籍情報
『テレビドラマは時代を映す』(ハヤカワ新書)
著者:岡室美奈子
ISBN:9784153400245
価格:1,100円(税込)

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