“時代の鏡”としての特撮ヒーローと悪役 白倉伸一郎が語るキャラクタービジネスの変化

 物語における対立構造は、緊張感をもたらすために欠かせない要素だ。光があれば影があり、正義があれば悪がある。そうした二元論的な世界観は、古くから物語の根幹を成してきた。それが最も顕著なのが、『仮面ライダー』や『スーパー戦隊』シリーズにおける「正義」と「悪」の変遷だろう。

 こうした時代とともに変化するヒーローと悪役の関係性について、制作サイドはどう捉えているのだろうか。その見解を聞くべく、東映のキャラクター戦略部を訪ねた。同部門は2023年7月に立ち上げられたばかりの新しい組織だ。

 対応してくれたのは、長年にわたって東映のヒーロー作品をプロデュースしてきた敏腕プロデューサーであり、現在は東映の上席執行役員を務める白倉伸一郎氏。今回は、ヒーローと悪役の関係性の変遷について、ヒーロー作品の第一線で活躍し続けてきた白倉氏の見解を聞いた。時代とともに移り変わる価値観の中で、正義と悪の物語はどう変化してきたのか。

キャラクター戦略部のモデルは「バンダイのメディア部」

白倉伸一郎

ーーまずは、白倉さんが所属しているキャラクター戦略部の役割と具体的な取り組みを教えてください。

白倉伸一郎(以下、白倉):キャラクター戦略部は現在4名で構成されており、東映が保有するIPのエバーグリーン化やグローバル展開を推進することが主な役割です。従来の組織の枠組みにとらわれず、機動性を持って動くことを目指しています。端的に言えば、従来の東映の組織図は、2023年2月に発表した当社の中長期ビジョンに適していなかったんです。映画会社である東映のビジネスモデルは、映画という一次コンテンツを起点に、二次利用として玩具、ビデオソフト、配信、イベント、海外セールスなどの縦の流れになっています。このような従来のビジネスモデルは得意としていますが、ゲームや玩具、キャラクター商品など映像以外を起点としたビジネス展開には適していなかったんです。まさに、キティちゃんががま口のミニ財布を起点にしているような。

ーー参考にした組織のモデルなどはあったのでしょうか?

白倉:具体的には、東映とも長年付き合いのあるバンダイさんのメディア部を参考にしました。バンダイがメディア部を設置して以降、飛躍的に成長を遂げました。東映とバンダイでは事業特性が異なるため、全く同じことはできませんが、参考にしながらキャラクター戦略部を立ち上げました。

ーー2023年の7月からキャラクター戦略部が始動して約1年。中長期の目標達成に向けた実感としてはいかがでしょうか?

白倉:着実に成長の道を歩んでいると思います。去年、ようやく事業の「種」を蒔くことができて、今は、その種から芽が出始めたところです。まだ実りの季節には少し早いかもしれませんが、慌てる必要はありません。ただ、スピード感は大切にしたいと思っています。でも、3年後ぐらいには、その芽は立派な「木」に成長し始めているはずです。むしろそこまで来ないと、事業の「果実」を収穫することはできないと思っています。

時代とともに変わりつつあるキャラクター像

ーー白倉さんは1990年に東映に入社されてから30年以上、さまざまなヒーロー・悪役像を見てきたかと思います。両者の変化について、近年の傾向をどのように捉えていますか?

白倉:あくまで傾向ではありますが、最近は視聴者から、善玉と悪玉をはっきりと描写することを求める声が強くなっている気がします。物語の序盤で提示したキャラクター像を、最終回まで一貫して維持することが求められる、といいますか。キャラクターが途中で考えを変えたり、善悪の境界線を越えたりすることに対しては、「設定崩壊」とも言われかねない状況です。例えばテレビシリーズの場合、第1話で「こういう人物だ」と紹介されたキャラクターは、最終回までその設定を守らなければなりません。途中で考え方が変わったり、ブレたりするようでは、視聴者の期待に応えられません。東映が得意とする1話完結型の作品、いわゆる“事件の起こる『サザエさん』”のようなスタイルでは、人間関係もキャラクターも固定されていて、変化しないことが重要なのです。このような状況は、ある意味では制作サイドにとって助けになっている部分もあります。しかし、その反面、連続ドラマ的な物語が作りづらくなってきているのも事実です。登場人物の変化や成長を描くことが、以前よりも難しくなっているのが現状だと言えるでしょう。

白倉伸一郎

ーー近年では、アニメや漫画においてもポリティカル・コレクトネスへの配慮が求められる側面もあると思います。

白倉:そうした変化は著しいと思います。『スーパー戦隊』シリーズでは、5人組の中に女性が1人だけ混ざっているのが定番でした。『プリキュア』シリーズを見ればわかる通り、本来は男性チーム、または女性チームでも十分成立するはずなのに、ある意味では不自然なバランスが長く続いてきたのです。とはいえ「紅一点」というポジションは、『秘密戦隊ゴレンジャー』が発明したわけではないんですよ。山田風太郎の『忍法帖』シリーズなどにも、昔から女性の忍者キャラクターが登場していました。現在放送中の『スーパー戦隊』シリーズでは、未だに5人中の1人が女性という構成でも、かつてのようにステレオタイプな役割を与えられることは少なくなりました。女性キャラクターを特別扱いしたり、「アイドル」や「お母さん的存在」といった固定的なイメージで描くことは影を潜めつつあります。今はヒーロー像に男女は関係なく、一人の人間として描かれるようになってきたと言えるでしょう。もちろん子どもたちが観る以上、大前提としてポリコレへの配慮は必要です。ただ、作品に求められるコンプライアンス以上に、そもそも時代の意識が変化してきていると思います。

ーー「人間的な個性を尊重したキャラクター作り」は、悪役でも同様に?

白倉:そう、そこが問題なんです(笑)。例えば実写のヒーロー番組の場合、登場人物はあくまで生身の人間であり、俳優が演じているということを忘れてはいけません。となると、単に「正義の味方」や「悪の敵役」といった類型的な存在ではなく、一人の人間として魅力的に描きたいというのが、制作サイドの本音だと思います。先ほど述べたように、『スーパー戦隊』シリーズのピンク役の女性キャラクターについては、以前よりもステレオタイプな描写が減り、ある意味では人間的な個性を尊重したキャラクター作りができるようになってきました。これは喜ばしい変化だと感じています。しかし、そもそもの立ち位置の対比として、ヒーローと悪役の話になると、事情が少し異なります。「ヒーロー」という設定の人物は、どうしてもヒーローらしさが求められます。逆に「悪役」として設定された人物は、悪い人間であり続けなければなりません。つまり、善悪どちらのキャラクターも、人間らしさや多面性を描くのが難しいのが現状です。こうしたキャラクターは、もはや「人間」ではなく、一種の「記号」として存在していると言えるかもしれません。例え実写作品であっても、ヒーローは常に正義の味方でなければならず、悪役もまた最後まで悪のカリスマでいなければならない。ヒーローでも悪役でもない、中間的な立ち位置のキャラクターを上手に描くのも非常に難しいんですよね。

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