『アンメット』が特別なドラマとなっている理由 “繋がり”を可視化していくリアリティ
上野大樹による「縫い目」が流れる『アンメット ある脳外科医の日記』(カンテレ・フジテレビ系列)のオープニングが印象的だ。書き綴った紙の束と、顔のパーツ、それらを繋げる赤い糸。全部を繋ぎ合わせ、手繰り寄せたら杉咲花演じる主人公・川内ミヤビの顔が浮かび上がる。
次のショットでそれは赤い糸の塊となり、その周りを彼女が撮影したと思しき同僚である登場人物たちの写真が囲む。それは、事故により記憶障害という重い後遺症を負ったために、今日のことを明日にはすべて忘れてしまうミヤビが、途切れてしまう日々を日記という形で残し、一生懸命繋ぎ合わせることで今日を生きているということを端的に示す。また、彼女が覚えていなくても、同僚たちがその日々を知っている、もっと言えば私たち視聴者がそれを見ていることによって、彼女の物語は途切れることなく確かに存在しているのだということを示しているようにも思う。
そして、本人からすれば断片的でありながら、しっかりと繋がって明日へと続いているミヤビの日常を、ドラマを通して見つめることで、視聴者は改めて気づかされるのである。第1話でミヤビが言ったように、「毎日少しずつ積み上げてきたすべての記憶が、未来の自分を作っている」という、普段当たり前すぎて意識していない、とても大切なことを。
『アンメット ある脳外科医の日記』は異色の医療ドラマだ。原作は、子鹿ゆずる原作、大槻閑人漫画による『アンメットーある脳外科医の日記―』(講談社『モーニング』で連載中)。原作者・子鹿ゆずるは、元脳外科医とのことで、作中の患者たちの脳障害の後遺症の症例や、医師・看護師たちの仕事ぶりのリアリティはそこから生まれているのだろう。三瓶友治が主人公の原作と違い、ドラマ版は「患者さんと同じように荷物を背負った」人物であるミヤビを主人公にすることで、「全話を通してミヤビ自身に、前を向いて進んでいく姿を体現してもらいたい」と本作のプロデューサーである米田孝は子鹿との対談で言及している。(※)
「脳の病気は命が助かって終わりじゃない」と第4話の大迫(井浦新)が言うように、本作は、ミヤビが、各話の主人公とも言える患者たちの「その後の人生」にできるかぎり寄り添おうとする物語だ。そして主人公であるミヤビ自身が患者たちと同じ境遇にあり、事故の後遺症とともに生きている。つまり本作は、医師であると同時に、記憶障害を抱える一患者としての葛藤を抱えつつ日々を過ごす主人公・ミヤビの姿を描くことで、より患者の側に立ち、患者たちの物語を中心に置いて描こうとする。そしてそれを見事に体現している杉咲花の素晴らしさである。杉咲演じるミヤビの口調が好きだ。小さくて丸い玉がコロコロッといくつも転がっていくような、軽快で爽やかな、それでいて控えめなかわいらしさの内側に、時折小さな不安が見え隠れする。