映画が描くのは“答え”ではない 『マンティコア 怪物』に刻まれた世間や社会への“問いかけ”

 監督のカルロス・ベルムトは作品の着想について、まず「ある少年に恋をした男性がその少年に似た女性に出会うストーリー」が頭に浮かんだと話している。さらにそのアイデアを発展させ、「ゲームデザイナーの男性が似顔絵や3Dモデルを通して自身の欲望を創造する」展開を思いついた、とも。

 主人公であるフリアンは、非倫理的で反社会的とみなされるような、みずからの性的嗜好に苦悩する。けれどもその倒錯を表に出すことはない。ひきかえに、彼は周囲に害のないかたちで、その欲望を満たそうとする。

 このような彼の行為は、果たして非難されるべきものなのだろうか?

 タイトルの“マンティコア”とは、獅子のような胴と人間のような顔を持ち、人喰い(マンイーター)と伝えられる伝説上の怪物だ。それはまた、フリアンの心の内に潜む危険な欲動を指し示してもいる。

 下手すれば彼自身を喰い殺してしまうかもしれない、その“怪物”をフリアンは心の内にとどめ、あくまでも解き放つことはない。

 こういった作品のテーマ性から連想されるのが、2023年に公開された『正欲』である。

 朝井リョウの小説を実写化したこの映画は、世間や社会から否定されかねない欲望を抱えた、自身のアイデンティティーに悩む人たちの姿を描き出した。

 ことによると映画以上に、原作に鮮明だったのが“あってはならない感情なんてこの世にはない”という、憤りにも似た思いだろう。

 それは“内心の自由”にかかわる問題意識だ。

 あらゆる感情も、あらゆる欲望も、決して否定されるべきではない。それが心の内にあるかぎりは。

 心の中で何を考えようと、それは自由だとする内心の自由の理念は、人間の精神活動を最大限に尊重する。

 そもそも芸術とは、そういった理念にもとづき、あらゆる欲望を昇華するかたちで生み出されてきたはずじゃないか?

 ゲームデザイナーを主人公とする『マンティコア 怪物』では、ゲームを例にとり、性や暴力と結びつく人間の欲動がゲームの題材になってきたことが語られる。

 そしてゲームに否定的な登場人物に対して、フリアンは言う。ゲームでは何でも経験できる、と。言外に、現実では絶対に経験できないことがあるのだと、自身を戒めるようなセリフだ。

 この作品の周到な脚本は、それらの欲望が内心にとどまらず、実際に行動に移されてしまう恐怖についても言及する。

 越えてはいけない一線をめぐる、その境界線すれすれな表現に関しては、観る人の賛否が大きく分かれるかもしれない。

 しかしその点も含め、この作品は何が否定され、何が否定されるべきでないかを世間や社会に問いかける。

 答えは、観た人がそれぞれ考え、見出せばいいのだ。

映画『マンティコア 怪物』90秒予告

■公開情報
『マンティコア 怪物』
4月19日(金)シネマート新宿、渋谷シネクイントほか全国順次公開
監督・脚本:カルロス・ベルムト
出演:ナチョ・サンチェス、ゾーイ・ステイン、アルバロ・サンス・ロドリゲス、アイツィべル・ガルメンディア
配給:ビターズ・エンド
2022年/スペイン・エストニア/カラー/DCP/5.1ch/ビスタ/116分/原題:Mantícora
©︎Aquí y Allí Films, Bteam Prods, Magnética Cine, 34T Cinema y Punto Nemo AIE
公式サイト:https://www.bitters.co.jp/manticore/
公式X(旧Twitter):https://twitter.com/manticore_movie

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