『ブギウギ』折り返し地点で幸せのピークを描いた意味 福来スズ子の“真価”はこれからに

 とても気になることがある。半年間の連続ドラマ『ブギウギ』(NHK総合)が第13週でちょうど折り返しとなり、そのサブタイトルが「今がいっちゃん幸せや」なのである。ということは、ここが幸せのピークであるということなのだ。

 ドラマはあと3カ月あるにもかかわらず、今が一番幸せとはどういうことなのか。それでいいのか。だが、そこにこそこのドラマの重要性が潜んでいるような気がしてならない。それは何かというと、福来スズ子(趣里)の本質にまつわることである。

 “福来スズ子”とは極めて利他的な存在であり、自分の幸せを二の次にして、彼女は歌で、大衆を元気づける存在なのである。

 年下の愛助(水上恒司)との恋は、戦争と彼の病・結核という大きな障害が手伝って、燃え盛る。率先して反対していた村山興業の坂口(黒田有)はふたりのまぶしいほどの純愛に、あれよあれよという間に感化されて味方に回った。

 残るは、ラスボス・トミ(小雪)。でも彼女は簡単にはふたりの交際を認めない。ただ、感染のおそれのある息子を、身を挺して看病してくれたことには感謝して、村山興業と縁のある山下(近藤芳正)をスズ子のマネージャーにつけることを認める。

 五木(村上新悟)の失踪によって活動ができなくなっていた、福来スズ子とその劇団は、山下によって活動を再開。とはいえ、戦争によって営業は慰問公演しか選択肢がなかった。待っていてくれる人たちのためにスズ子は歌おうとする。が、愛助のことが気になって仕事に身が入らない。

 スズ子が京都に慰問に行っているとき東京で空襲が起こって以来、スズ子は愛助と離れていることが耐えられず、せっかくの慰問公演を断ってしまう。結核という、当時、死に至る可能性の高かった病を抱えた愛助に、ありったけの愛情を注ぐスズ子。その裏には、かつてツヤ(水川あさみ)が病に臥せったとき、介護できなかった悔恨や、出征した六郎(黒崎煌代)がどんなふうに死んでいったのかわからない無念や哀しみがあった。

 もう二度と、大好きな人と離れたくないという思いで、スズ子は愛助に身も心もしがみつく。スズ子は「へばりつく」という言葉を使っている。「絶対に離れない」ではなく「へばりつく」であることに、必死感がある。

 スズ子はどこか愛情の欠落を抱えているように見える。ツヤをほんとうの母と思っているとはいえ、物心つかないうちに、本当の母とは別れ別れになっていることもあり、どこかアイデンティティに不安があるのではないだろうか。その一方で、ツヤが梅吉(柳葉敏郎)やスズ子に対して、執着に近い強い愛情を抱いていたことに、そばにいて影響を大きく受けているのかもしれない。愛の欠損と、あふれるほどの愛の、ダブルバインドが、スズ子を支配しているような気がする。そして、その2極に共通するものは、母の愛なのである。

 主題歌「ハッピー☆ブギ」の歌詞には“母の温もり”があり、タイトルバックの映像でも母の胎内のイメージが描かれていることから、母の愛情が『ブギウギ』の根幹になっている気がする。ドラマの第1話は、シングルマザーのスズ子が子供をとてもかわいがっている様子からはじまっていることからも間違いはないだろう。

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