ウィリアム・フリードキン、ジャック・ロジエ、ライアン・オニールら映画人たちを偲んで

 2022年に続いて、この1年に亡くなった映画人たちを振り返るコラムを任されることとなり、1月から順に訃報を辿っていくと、失礼ながらそこで初めて亡くなっていたことを知る人も少なくはなかった。俳優なり、監督なり、ほとんどの場合は彼らと作品を通して一方的にコミュニケーションを取っていたような気にさせられていただけなのだと、改めて思い知らされる。それでも作品が遺され、残り続けている限りはつながるすべのようなものがずっと存在し続けていて、しいて言うならばもうそれが増えていかないということに、どことなく寂しい気分を味わうようなものである。

ウィリアム・フリードキン

 8月7日に87歳で亡くなったウィリアム・フリードキンの作品に初めて触れたのは、2000年春の『英雄の条件』だった。当時まだ小学生だった筆者は“『エクソシスト』や『フレンチ・コネクション』の監督”だと言われてもそこまでピンとくるものもなかったのだが、その数カ月後に丸の内シャンゼリゼ(現在の丸の内TOEI2)の前に『エクソシスト ディレクターズカット版』のポスターが掲げられていて、(1カ月半ほどの公開延期もあったが)11月23日の封切り初日に朝から東劇でそれを初めて観た時の衝撃はいまでも鮮明に覚えている。

 2000年代以降のフリードキンの長編映画は3本(キーファー・サザーランド主演の遺作が2023年にあったようだが、まだ日本には上陸していない)。いずれも傑作でありながら公開規模も小さく、『キラー・スナイパー』に至ってはビデオスルーとなっており、非常にもったいない。それでも『エクソシスト』はいつまでも輝き続け、『恐怖の報酬』もリバイバルされて再評価を得ている近年。最近久しぶりに観返してみた『フレンチ・コネクション』も、やはり言うまでもなく大傑作であった。

ジャック・ロジエ

特集上映「みんなのジャック・ロジエ」予告編

 この数年、毎年のようにヌーヴェルヴァーグの監督たちの訃報を目にする。よくよく考えてみたらもう60年も前の潮流に加わっていた歴史的な人物たちと同じ時代を生きていたというだけでも贅沢なことなのだが。6月2日に亡くなったジャック・ロジエは、手掛けた長編作品がわずか5本(IMDBを見るともう一本あるようだが)。一線を退いてから20年以上も経っており、96歳の大往生であった。

 追悼特集に行けなかったため、そこで初上映だった2作品は未見だが、あとの3本はいずれも非常に魅力的な作品であり、とりわけ『オルエットの方へ』はヴァカンス映画に必要不可欠な“心地良い時間”を味わう2時間半の映画旅行。そろそろソフトが再販されて、より多くの人にロジエを観る機会が与えられることを願いたい。そういえば2年ほど前に、ロジエがホームレスになるかもしれないというニュースがあったのだが、その後どうなっていたのだろうか。

ヒュー・ハドソン&カルロス・サウラ

 2月10日にはロンドンでヒュー・ハドソンが、マドリードでカルロス・サウラがそれぞれ亡くなっている。ハドソンは言わずもがな『炎のランナー』という無二の作品があり、サウラは主にフラメンコ映画の名手として名を馳せた監督だ。『カラスの飼育』など劇映画の傑作も多数遺したサウラの作品群には、バルセロナオリンピックの公式ドキュメンタリー映画『マラソン』がある。優れた陸上映画を手掛けたヨーロッパの名監督2人が奇しくも同じ日に旅立つことになるとは。

オタール・イオセリアーニ

 年末ぎりぎりになって飛び込んできたのはジョージア映画の巨匠オタール・イオセリアーニの訃報であった。彼が手掛けた長編はドキュメンタリーを含み13本。短編・中編も8作品と、60年ほどのキャリアを考えると決して多くはないが、晩年も4~5年に1本のペースで作品を発表し続けていた。いずれも穏やかに人間を見つめる作風が印象的であり、長編では『歌うつぐみがおりました』が実に愛らしく、中編『四月』は1時間もない尺のなかに映画にできるあらゆる魔法が詰まった奇跡の一本だ。

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