人間は善か悪か? 『ハンガー・ゲーム0』の奥行きを生んだ“社会契約説”の問いを解説

 残酷な格差環境のなか展開される人間関係こそ、政治的テーマの本懐になっている。『ハンガー・ゲーム0』が見せるものは「権威主義国家の成り立ち」、ひるがえせば、殺戮の娯楽化によって人道主義が失われていく過程である。もともと、2020年代政治においてコリンズが問題視した傾向とは「権威主義vs民主主義」構図の加速、それにともなう民主主義システムの危機であった。そこで、南北戦争および第二次世界大戦後の復興期を参照した物語の主題に選ばれたのが、人間の本質をめぐる政治哲学「社会契約説」だ。今作に向けた大雑把な説明をするなら「人は争いあう悪しき存在だから国家の絶対的権限が正当化される」性悪説、「人は善なる存在だから国家主権は国民/人民にあるべき」性善説にわけることができる。(※4)

 『ハンガー・ゲーム0』のプロデューサー、ニーナ・ジェイコブソンは「私たち人間とは、制限なき状態でも、本質的に善良な存在なのでしょうか? それとも、国家に抑制されなければ殺し合ってしまう、悪しき存在なのでしょうか? 人々がお互いや政府をどのように認識して何を求めているのか。とてもタイムリーなアイデアだと思いました」と語っている。(※5)

 『ハンガー・ゲーム0』において、性悪説論者こそ、ヴィオラ・デイヴィス演じるヘッド・ゲームメーカー、ゴール博士だ。対して、性善説を象徴するのが、弾圧されてもなお自由を希求する歌姫ルーシー・グレイとなっている。前者を師匠、後者を初恋の相手とするスノーの場合、みずからの思想を決めかねている。迷える思春期の青年は、殺戮ゲームと初恋をとおして、権威主義肯定の性悪説と民主主義志向の性善説、そのどちらに、どのようにして落ちつくのか? これこそ、原作者と映画製作陣が重要視した命題なのだ。(旧作で絶縁状態になっていた)従姉妹タイガレスから 「人は善良なの、あなたも善良な人間よ」と性善説を説かれたスノーが涙するように、『ハンガー・ゲーム0』には、 セリフから劇中歌にいたるまで「社会契約説」の問いかけがちりばめられている。この政治哲学を意識して鑑賞、あるいは再見してみれば、より奥深い体験がもたらされるだろう。

 コリンズが『ハンガー・ゲーム0』に込めた政治不安は、前作と同じように的中してしまっている。2020年の原作リリース後、米国では不正選挙説からなる議事堂襲撃が発生した。そしてロシアによるウクライナ侵攻、イスラエル・パレスチナ問題など、世界各地で紛争が急増し、従来の国際秩序は激変してしまっている。2023年現在、権威主義勢力の激化とともに生じているのは、民主主義陣営に対する信頼の亀裂である。だからこそ、西側国家システムの根底にある政治哲学、あるいはその脆さを探る『ハンガー・ゲーム0』が同時代的な映画として受容されたのだ。邦画でも戦後期を舞台とした『ゴジラ-1.0』(2023年)がグローバルヒットを遂げたように、これまで当然視されていた現代社会の基盤に立ち返るような物語こそ、国際激動期に求められているのかもしれない。

 もちろん、シリーズファンにとっては旧作のリファレンスも醍醐味だ。ネタバレとなるが、ルーシー・グレイが創造した楽曲「The Hanging Tree」は、表現規制に遭いながらも第12地区で継承されていくことになる。そしてスノーが大統領に君臨している64年後、彼の初恋の人が愛した植物である「カットニス」の名を持つ少女があらわれ、「The Hanging Tree」をプロテストソングとした革命運動が巻き起こっていく。

Rachel Zegler – The Hanging Tree (from The Hunger Games: The Ballad of Songbirds & Snakes)

参考

※1. https://deadline.com/2023/11/hunger-games-ballad-of-songbirds-and-snakes-box-office-100m-1235642112/
※2. https://www.dailymail.co.uk/news/article-2847503/Ferguson-protesters-scrawl-Hunger-Games-slogan-landmark-tense-town-waits-grand-jury-decision-indicting-Darren-Willson-killing-Michael-Brown.html
https://www.theguardian.com/world/2021/feb/08/three-finger-salute-hunger-games-symbol-adopted-by-myanmars-protesters
※3. https://www.nytimes.com/2018/10/18/books/suzanne-collins-talks-about-the-hunger-games-the-books-and-the-movies.html
※4. https://www.hollywoodreporter.com/news/general-news/suzanne-collins-talks-hunger-games-prequel-ballad-songbirds-snakes-1295145/
https://www.nhk.or.jp/kokokoza/r2_rinri/assets/memo/memo_0000001149.pdf
※5. https://www.polygon.com/23848083/hunger-games-ballad-songbirds-snakes-release-cast-preview

■公開情報
『ハンガー・ゲーム0』
TOHOシネマズ 日比谷ほかにて公開中
出演:トム・ブライス、レイチェル・ゼグラー、ピーター・ディンクレイジ、ハンター・シェイファー、ジェイソン・シュワルツマン、ジョシュ・アンドレス・リベラ、ヴィオラ・デイヴィス
監督:フランシス・ローレンス
脚本:マイケル・レスリー、マイケル・アーント
原作:スーザン・コリンズ『ハンガー・ゲーム0 少女は鳥のように歌い、ヘビとともに戦う』(KADOKAWA刊)
製作:ニーナ・ジェイコブソン、ブラッド・シンプソン、フランシス・ローレンス
配給:KADOKAWA
原題:The Hunger Games: The Ballad of Songbirds and Snakes
©2023 Lions Gate Films Inc. All Rights Reserved.
公式サイト:https://movies.kadokawa.co.jp/thehungergames0
公式X(旧Twitter):https://twitter.com/hungergame0

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