『大雪海のカイナ』『天国大魔境』など、ポストアポカリプス作品はなぜ求められる?

 映画『大雪海のカイナ ほしのけんじゃ』が10月13日から公開される。本稿では、映画公開を前に、『大雪海のカイナ』をはじめとした、「ポストアポカリプス」を題材とした作品が求められる理由について考えてみたい。

10.13劇場公開『大雪海のカイナ ほしのけんじゃ』本予告2

 フジテレビ「+Ultra」枠で1月から3月まで放送された『大雪海のカイナ』は、雪海から浮かんできたヒロイン・リリハと、天膜に暮らす少年・カイナが2人で世界滅亡の危機に立ち向かう「賢者を探す旅」を描いた物語。2022年4月号から『月刊少年シリウス』(講談社)で連載中の作品で、原作・弐瓶勉と、作画・武本糸会の2人がタッグを組んで作られた。3DCG・アニメ制作会社、ポリゴン・ピクチュアズ設立40周年記念作品として、連載開始から早い段階でアニメ化が決定していた。映画『大雪海のカイナ ほしのけんじゃ』では、花江夏樹が担当するビョウサンという新キャラクターを迎え、人類の存亡をかけて滅びゆく世界の謎を追う模様が描かれる。

 『大雪海のカイナ』の舞台設定は、大規模な災害や戦争によって人類の文明が崩壊し、文明が依存するライフラインが絶たれた世界で人間はどう生きるのかについて描く、SFのサブジャンルのひとつである「ポストアポカリプス」に該当する。

 『新世紀エヴァンゲリオン』や『進撃の巨人』も、ポストアポカリプスを題材にした作品といえるだろう。多くの人を惹きつけるポストアポカリプスという設定は、近年流行しているゲームの影響も大きいと感じる。

 BBCの記事「Why video games are obsessed with the apocalypse(ビデオゲームが黙示録に取りつかれている理由)」では、「ビデオゲームは、ある意味で、ポストアポカリプスを描くための完璧な媒体である。文明の崩壊後、誰もが残忍な自然の状態に戻ると仮定すると、暴力はドラマの自然なエンジンとなるからだ。(中略)モンスターに対する繰り返しの暴力だけで満たされた世界を作成するために、終末世界ほどふさわしい設定はない」と紹介がある。(※1)

 確かに、厳しい自然の中では食糧難や病気などが原因で人間の本性がむき出しになり、暴力を引き起こしやすい。他にも自分以外の生存者を探したり知恵を使って困難を打破したりすることは、ロマンがあって魅力的である。この点はゲームだけではなく、アニメ作品にも共通して言えることではないだろうか。

 『大雪海のカイナ』は、ポストアポカリプスの設定を物語に巧みに取り込んでいる一作だ。主人公カイナは、この世界には自分たちだけしか人類はいないと信じていた。カイナと一緒に生活していた“おおばばさま”たちも、「私たちが死んだあとカイナは独りぼっちになってしまう」と懸念していた。ところが、ある日雪海から少女が天幕へ上陸し、雪海には人間がたくさん存在することが明らかになる。カイナがそんな未知の世界へ飛び込んでいくことが、物語のダイナミズムを生んでいるのだ。

 また、『大雪海のカイナ』と同じように、「ポストアポカリプス」を題材とした2023年のアニメとして、荒廃した近未来を舞台に、少年少女たちの旅路を描いた『天国大魔境』が挙げられる。同じポストアポカリプスというくくりでも『天国大魔境』の方が生活感や建造物が残っているのに対して、『大雪海のカイナ』は壮大な自然を舞台にしているなど、世界観は全く異なっている。

関連記事