実写版『ONE PIECE』が描く“支配と解放”というテーマ 原作とは違うドラマならではの構成

 ルフィたちに敗北するとはいえ、「東の海の覇者」とも呼ばれる最強最悪の彼の存在がなぜ省略されているのだろうか。ひとつは、その後に登場するアーロンが「東の海の支配者」になろうと目論む存在だということ。クリークとアーロンが背負っているバックグラウンドはまったくもって異なるが、似たような存在はふたりも必要ないだろう。それからクリークが“全身兵器男”であることも影響しているはずだ。原作でも「クリーク戦」の規模感はかなりのものだ。製作費のことを考慮するならば、縮小して描くか省略するかのどちらかで、後者を選択したほうが賢明だろう。マンガであれば「クリーク戦」のあの絵面以上に「アーロン戦」で描写される人々の心の動きに惹かれたものだが、アクションが売りとなる映像であれば絵の迫力のほうに視聴者の関心が向かうのは当たり前。そうなれば「アーロン戦」の印象は必然的に薄くなり、全8話の締めとしてバランスが悪い。

 それから、クリークとアーロンの圧倒的な違いは、ともに過ごす者たちを“仲間”だと認識しているのかどうか。アーロンが自分と同じ魚人族を“同胞”として大切にしているのに対し、クリークは部下たちを戦闘の際の捨て駒だとしか考えていない。これはアルビダも、バギーも、クロにもいえること。アルビダはコビーたち船員を完全なトップダウン式で奴隷のように扱っていたし、原作のクロはクリークのように敵を殲滅するためなら部下もまとめて手にかけてしまう存在だ。それにもっとも印象的な描写として、このドラマではバギーが占領した街の人々を鎖で繋ぎ、文字通りに奴隷として扱っている。

 「奴隷制」は『ONE PIECE』が描く重要なテーマのひとつであり、差別され虐げられるアーロンたち魚人はこの象徴でもある。そんなアーロンたちにナミは奴隷として扱われており、ルフィの勝利によって彼女は解放される。コビーもアルビダの支配から自由になり、海軍としてガープに鍛えられていく様子がルフィらの動向と並行して描かれる。つまりこの第8話では一貫して、「支配と解放」という主題が描かれているのだ。主眼が置かれているのはここであり、敵対するキャラクターが順序よく登場する必要などはどこにもない。ドラスティックな改変によるアクロバティックな構成で、『ONE PIECE』のエッセンスを端的に読み取ることができる作品になっているのだから。

■配信情報
Netflixシリーズ『ONE PIECE』
Netflixにて独占配信中
原作&エグゼクティブ・プロデューサー:尾田栄一郎
脚本&ショーランナー&エグゼクティブ・プロデューサー:マット・オーウェンズ、スティーブン・マエダ
キャスト:イニャキ・ゴドイ(モンキー・D・ルフィ)、新田真剣佑(ロロノア・ゾロ)、エミリー・ラッド(ナミ)、ジェイコブ・ロメロ・ギブソン(ウソップ)、タズ・スカイラー(サンジ)、ヴィンセント・リーガン(ガープ)、モーガン・デイヴィス(コビー)、 ジェフ・ウォード(バギー)、マッキンリー・ベルチャー三世(アーロン)、セレステ・ルーツ(カヤ)、エイダン・スコット(ヘルメッポ)、ラングレー・カークウッド(モーガン)、ピーター・ガジオット(シャンクス)、 マイケル・ドーマン(ゴールド・ロジャー)、イリア・アイソレリス・ポーリーノ(アルビダ)、スティーヴン・ウォード(ミホーク)、アレクサンダー・マニアティス(クラハドール)、クレイグ・フェアブラス(ゼフ)、チオマ・ウメアラ(ノジコ)
©尾田栄一郎/集英社

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