宮﨑駿の映画は何を伝えようとしてきたのか? 第4回『風立ちぬ』

「無常観」の問題――『方丈記私記』

 2008年に神奈川近代文学館で『堀田善衞展 スタジオジブリが描く乱世』展が行われた。そこで、宮﨑は堀田善衛の『方丈記私記』のアニメ化を模索した際のイメージボードを公開している。宮﨑は堀田を「格別」と呼び、「堀田さんの戦後の歩みは、私にとって最も誠実な日本人の生き方の手本でした」(p10『時代の風音』)とまで本人を前にして語っている。その『方丈記私記』を宮﨑は、少なくとも90年代には映画化しようとしていたようである。それはどうしてなのか。

 『方丈記私記』は、堀田の第二次世界大戦の経験を語ったエッセイである。主題的なクライマックスは、戦争中は『方丈記』の「無常観」で心を鎮めていたが、それが問題ではなかったと自ら問う箇所である。堀田は、東京大空襲に遭遇し、恋人のいた深川近くの焼野原を歩いていた時に、昭和天皇がたまたま来ているのに出くわす。焼け出された民衆は、自らの生活を破壊されたくさんの死者を出したその空襲について、土下座して昭和天皇に詫びたというのだ。そのような心性は、『方丈記』的な無常観から来ているのではないか。全てを受容してしまう心性に問題があるのではないか。それでは悪い政治に抗ったり、デモをしたり出来ないではないか。……自然災害を受け止めるモデルによって、政治や戦争を受け止めてしまう心の態度としての「無常観」には問題があるので、戦後の「新生」においてはそれを変える必要があるのではないか、という問題提起だと理解するといいだろう。『ポニョ』と『風立ちぬ』の間には、その問題提起の残響が強く感じられるのだ。『ポニョ』にあった、楽観的で達観した「無常観」的な多幸感は、本作では明らかに後退している。

「堀田善衛さんの『方丈記私記』というのを夜中に読み終わったとき、平安末期の混沌とした時代の中に自分がいるような気がしたのを覚えています。堀田善衛さんは、現代は動乱期だというんです。古都が荒廃して新しい都はいまだならないという時代にいるんだ、という堀田さんの認識は本当に今になって思い当たるんです。/たとえば環境問題という以前に、地球も今までの考えでは理解できない凶暴な面を表しはじめたでしょう。人間がやらなくても、温暖化はするし、海面が上がって海が戻ってくるし、天変地異はドカドカ起こるらしい」(『虫眼とアニ眼』p157)

 宮﨑は、堀田の問題提起を引き継ぐことで、戦争(科学)と災害(自然)の両方を受け止める、日本の大衆の無意識・心理・文化に介入しようとしてきた作家だと解釈し、位置づけることが出来る。両親たちが戦争の時代をどう受け止め、やり過ごしたのかを探る、『風立ちぬ』の問題意識の背景には、戦争の時代を「無常観」でやり過ごした堀田と、それへの苛烈な自己批判の残響を読み取るべきだろう。『ポニョ』を否定し、具体的な人間の生の局面を見つめることで、「どう生きるか」を真剣に探り、本当に有効な戦争や災害を受け止める心理的・文化的装置の形成を模索しているのである。

戦争に加担した者たちを、どう描くか

 その上で、第二次世界大戦中を生きた人物を、具体的にどのように描いたのか。これは、公開当時、多くの疑問や批判が投げかけられた。零戦の設計者であり、おそらくは戦争に積極的に加担し稼いでいたと批判されるだろう主人公の堀越二郎と、富裕層に属する奈緒子と、軽井沢での恋愛を描く物語なのだ。作品には、観客が期待するような、具体的な社会や政治や戦争の出来事は余り描かれていなかった。

 渋谷陽一に、二郎が戦争に対する抗議行動をしないことについて問われ、宮﨑はこう答える。

「我々がそうですからね。この日本、どこに行くんだろうと思っているけど、どっかの前で座り込みを続けているとか、断食しているとか、そういうことはやらないで、相変わらず同じことを毎日やっていますよ。そういうことなんだと思うんで。今もまったく同じ状況なんだと思います」(『続・風の帰る場所』p208)

「戦争の道具を作った人間の映画を作るんですけど、スタッフにも女房にも『なんでそんな映画を作るんだ?』って言われて。俺もそう思うんですけど(笑)。だけど、歴史の中で生きるということはそういうことだと思うんですよ。それが正しいとか正しくないじゃなくて。その人間がどういうふうに生きたかっていう意味ではね」(『続・風の帰る場所』p162-163)

 ここに、「宮﨑アニミズムIV」が現れる。「人間の行うことも自然の行うことも全て肯定してしまおう」というIIIを否定し、「肯定も否定もせず、ただそこに人間が生きたという事実をありのままに眺めよう」という目線が「IV」である。それは全てを祝福し肯定するという目線とは違う。ある状況の中で、人間たちはただ生きるのだ、ということを受容しようとする視線と言っていいだろうか。この目線の中では、人間の行う愚考や悪が肯定されるわけではない。

 アニミズムの描写で言えば、自然の多産性は本作ではかなり抑制されている。「多産性」があるのは、夢の中でのカプローニの妻周りの描写だけで、二郎の生きる戦中の日本にはそれはほとんどない。自然の巨大な破壊力としての震災が東京を破壊することと、たまに風が吹いて草木が揺れる程度である。そして、クリエイターの才能の迸りの中にアニミズム的希望を見てきた『耳をすませば』『紅の豚』的な逃げ道も塞がれる。その才能こそが、戦争に加担し、破壊と死を齎し、「国を滅ぼした」事態に繋がってしまうのだから。ここには、『ポニョ』の肯定からどれほどの距離があるだろうか。

「(堀越二郎が自身の戦争責任について、引用者註)あるようだけれども自分にはないと思う、って書いています。面白いでしょう? 僕は、この人はほんとにそういうふうに思った人だと思います」(『続・風の帰る場所』p213)

 このような「面白がり方」が、この時期の宮﨑の特徴である。良いか悪いかではない。ある意味で、ドキュメンタリー的な人間観察の態度に近づいているのである。

 宮﨑はかつて「左翼」だったころ、戦争で稼いだ父親を批判したことがある。それは、「死の商人」によって比較的裕福な暮らしを享受していた「プチブル」としての自己批判でもあっただろう。

「僕は思春期の頃、親父と戦争協力者じゃないかってもめた経験があるんですけど。そうやって断罪していくと、ほとんどの人が戦争協力者だと言わざるをえない。隣の韓国とか北朝鮮とか中国とかフィリピンとかインドネシアとかね、そういう側から考えると、それは加害者であるという。(…)その思考方法は、これからどうやって生きていくかという時には、とても大事なことだと思う一方で、それで人を断罪することによって、何も生まれやしないと思いますよ。それは自分の両親を見てりゃわかる。自分の親父やおふくろが戦争を望んでいたかといえば、望んでないですよ。でも、景気良くなることは望んでたんですよ。で、戦争に負けたら困るから負けないだろう、という程度で。(…)親父は戦争ってのは早慶戦ぐらいにしか考えてなかったのかなと思うところがあるんですよ(笑)(…)でも全員が反戦活動をしたり、社会主義者になって牢屋に入るわけにいかないから。職業を持つということは、どうしても加担するという側面を持っている、それはもうモダニズムそのものの中に入ってるんだと思ってるんです」(『続・風の帰る場所』p214-215)

「武器を作ってるという自覚、なかったと思いますね。それを、戦後民主主義派がそうやって断罪していくことによって、見落としてるものがいっぱいあって。『じゃあおまえ無実なのか? アニメーション作るのはどういうことだと思ったことがある?』って、つい僕はそういうことを言いたくなるんですけど(…)それはただの人生の消費であってね。それに加担するということは、実は、戦争に加担してるのと同じぐらい、今のくだらない世の中にくだらなさを増やしてることなんですよ」(『続・風の帰る場所』p209-210)

 90年代以降の「二項対立批判」「イデオロギー批判」の態度が、ここでも継続している。左翼的な世界観で否定的に思っていた日本の農村に別の角度から光を当てた『となりのトトロ』と同じことを、戦時中の日本の庶民を題材に行ったのが『風立ちぬ』だと言ってもいい。それは歴史修正や美化に近いようにも思えるが、それとは一線をおいている。零戦の映画について「神話の捏造をまだ続けようとしている」「それには僕は頭にきてたんです、子供の頃からずーっと!」(『続・風の帰る場所』p195)と語っているからだ。イデオロギーでも神話でもなく、この時代の生を捉えたかったのだろう。

 ここでは、驚くべきことに、アニメーションを作ることと、戦争に加担することが並列として語られている。そのぐらい、アニメーションやサブカルチャーが世界を悪くしたと、宮﨑は考えている。仕事をすることは、汚れることなのである。堀越二郎は戦争への加担者であると同時に、絵描きであり、芸術家であり、アニメーターとしての自己の自画像でもある。「夢の王国」(作中の言葉)の結果として、墜落した零戦が山となって積まれ、「国を滅ぼしたんだからな」と言われる結末部には、その暗い自嘲を感じる。

 オタク的なアニメ作家と思われがちな作家である庵野秀明を、堀越二郎の声優にしたことにも、批判と自嘲の匂いを感じる。ここに、「オタク的に好きな事ばかりやって、世の中を無視していると、悲惨なことになるぞ」という啓蒙的なメッセージを読み取ることもできるし、「それでも夢を追うことは美しいのだ」ということを読み取ることもできる。どう解釈するべきなのか、それが曖昧で入り混じり、善悪がハッキリしないがゆえに、鑑賞後の気持ちがスッキリしないようになることこそが、おそらくは本作の狙いであろう。本作が言おうとしているのは、好きなことを追求し才能を発揮すること自体が悲惨な結末に繋がってしまう時代・人生があるのだという事実そのものであり、その善悪そのものではないのだろう。どちらとも割り切れない悲劇的な状況というものが、ただあるのだ、とでも言うかのような。

「そのとき(1944年、引用者註)堀越二郎は、すべてから見放された設計技師でした。ですから、そこからなにを学ぶかといったら、負け戦のときは負け戦のなかで一生懸命生きるしかない、というようなことでしょうか」(『腰ぬけ愛国談義』p245)

ロマン主義とセカイ系――美と政治の絡み合い

 さて、なぜこの物語を、堀辰雄の『風立ちぬ』に託して描こうとしたのだろうか。『風立ちぬ』の小説に似ているところは、結核を患った恋人と軽井沢で過ごすところと、戦時中に死の影が這い寄りながら外界を遮断して生きている、いわば「セカイ系」的なところだ。これを敢えてタイトルにしている以上、そここそが本作で批難を覚悟でやろうとしたことなのだろうと考えることが出来る。

 堀辰雄(の愛読者たち)に対する痛烈な批判として、加藤周一「新しい星菫派について」という文章がある。それは、堀辰雄の愛読者の若者たちや、戦時中を軽井沢で過ごした者たちを批判するものである。このようなことを、加藤は言う。

「詩と哲学との時代は、かなり突然、軍国主義的時代のただ中に、彼等と共に、誕生した。一世代の知的イニシエイションは、ナチス・ドイツの抒情詩的作品と京都哲学の観念弁証法に依てなされる。狂信的日本主義者の怒号、軍閥の独裁、テロリズム、弾圧、迎合、宣伝、全く絶望的な経済的、精神的混乱と来るべきカタストロフへの絶えざる恐怖との彼方に、若き世代は、静けさと永遠とを詩と形而上学との世界にもとめる」(臼井𠮷見編『戦後文学論争』p310、旧字体や歴史的仮名遣いなどは現代のものに改めた)

 一言で言えば、「星」や「菫」などの美しいものにロマンチックに陶酔することで、現実の過酷さや悲惨さから逃げた堀辰雄ファンたちを批判しているのである。現実が過酷になったからこそ、詩や哲学の世界に逃げざるを得なかったとも言える。それは、戦争によって利益を得ていた富裕層の特権によって可能になったものに過ぎないのではないか、と加藤は批判し、そこから「星菫派論争」に繋がっていった。宮﨑はこの批判、もしくはこの批判に通じる文脈の意見を、おそらくは意識していたのではないだろうか。そして個人的には、星菫派は、現代のオタクたちのあり方とよく似ているように思う。オタク文化の爆発的な発展と大衆化は、1995年以降の日本の経済的な不況や競争が過酷になった時期と重なっており、現実や社会や政治から目を逸らし、美しい理想世界に耽溺して逃避する装置という機能を果たしてきたからであり、その極北が「セカイ系」なのだから。

 星菫派と、おそらくは戦争中でも洒脱に楽しく生きたらしい父親の姿も重なっているだろう。このような、政治や社会にコミットしないで、戦争中に行動しないで、美と性愛と仕事にこだわった者を敢えて描いた理由は何なのだろうか。それを批判しているようでもあり、肯定しているようでもある、どちらとも付かない両義性の居心地の悪さが、おそらくこちらも意図的にあるように思われる。作品は、美に没頭し、「セカイ系」的に生きた二人を肯定的に描いているように見えるが、作品全体はその周囲にある政治的・歴史的現実を丹念に描いてもいるからだ。

 これに関して、乗木大朗「〈星菫派論争〉再考――“軽井沢コムミュニスト”と 戦争」(『文学研究論集』2022年)という論文が、参考になる。当時の軽井沢は、現実と切り離された楽園、という場所ではなかったというのだ。国内にいた外国人たちが半ば逃げるようにここに集まっており、様々な策謀が行われ、官憲の厳しい監視もあったというのだ。『風立ちぬ』でも、軽井沢で、二郎はスパイらしい人間の接触を受け、その後、特高からの呼び出しを受ける場面が描かれている。政治は、そのような美の楽園の中にも入り込んでいるし、二郎は厳しい監視と弾圧の中で行動や表現も自由ではなかったということが、ちゃんと示されているのだ。宮﨑は、そのような表現の不自由な時代が来ることの予感を、他の箇所で語っている。単純にロマン主義的な美の自律を謳いあげるような映画ではなく、むしろ、そのような美と政治が複雑に結びついてしまわざるを得ない時代の状況を描いた映画だと言えるだろう。セカイ系的な題材を扱いつつ、作品の全体はセカイ系ではない、セカイ系的な心情を肯定しつつそれが複雑に現実の歴史的な悲劇と結びついていることを描いた作品なのである。そう解釈する根拠として、宮﨑が、堀辰雄が、政治的なことに「無関心」でいたわけではないという点を、重視してることを挙げたい。

「堀辰雄は(戦争中に、引用者註)自宅に集まってきた若者たちに、『戦後の世界の希望は、ヨーロッパに生まれる民主的な社会主義国の連合だ』という話をしていたというのです」「政治的なことはまったく書かなかった作家ですが、そういうことを考えていた人なんだと知って、それがまた掘辰雄を読み返すきっかけになりました」(『腰ぬけ愛国談義』p160)

 一見非政治的で現実から切り離されているように見えながら、実はそうではなく、そこに新しい良い世界や社会の理想もまた懐胎していた。しかし、それを表に出すことはなく、秘密結社のように水面下で密やかに語らざるを得なかった人物として、堀辰雄を考えているのだ。「美か政治か」という二項対立もそこでは崩れており、両者が入り混じり、美はまた世俗という現実によって幾重にも何重にも汚染されているということが、描かれているのだ。しかし、それが生きることである。

 君たちの純粋な夢の追求、好きなことでの才能の発揮は、無惨な殺戮や大量の死や墜落につながるかもしれない。自律した美という逃げ道は存在しなく、美しく純粋なものはこの世に存在しえないかもしれない。それでも、最後の死んだ妻との「美しい」夢に逃げるのではなく、彼女が「生きて」と言う通り、それでも生きなければならない。君たちは汚れることになるかもしれない、ショックを受けるかもしれない、現実逃避をしたり心が受け止めきれなかったりするかもしれない。だが、それでも生きるのだ、本作を観ることで、それに心の奥底で備えを作るのだ……。本作にあるのは、そのような暗い予感に基づくメッセージなのではないだろうか。

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