『だが、情熱はある』の“情熱”は何だったのか 視聴者に蒔かれた“幸福”を掴むための種

 2023年上半期の日曜夜は、半年間・同枠2作連続で「これまでに観たことがないドラマ」を堪能させてもらったという充足感がある。

『ブラッシュアップライフ』最大の“カタルシス”はプリクラ合わせ ドラマ史に刻まれた品格

毎週日曜の夜に、笑いと“ホロリ”と爽快な“カタルシス”をもたらしてくれた『ブラッシュアップライフ』(日本テレビ系)が3月12日に…

 同枠前作『ブラッシュアップライフ』(日本テレビ系)についての評論(『ブラッシュアップライフ』最大の“カタルシス”はプリクラ合わせ ドラマ史に刻まれた品格)で筆者は「幸福論を談じる作品」と書いた。そして、6月25日に最終回をむかえた今期の『だが、情熱はある』(日本テレビ系)。これもまた、違ったアプローチから「幸福論」を追求した作品ではないかと思うのだ。しかし両作ともに入り口の敷居は低く、エンターテインメントとして文句なしに面白いところがニクい。

 『ブラッシュアップライフ』は、作品紹介として「地元系タイムリープ・ヒューマンコメディ」という、楽しげで、とっつきやすいキャッチコピーが添えられていた。しかしながら、主人公の麻美(安藤サクラ)が何周も人生をやり直すことで、「つまり本当の幸せって何なの?」という問いを投げかけていた。そして、どんな職業について、どんな生き方をしても、結局「大好きな友達との、かけがえのない“無駄話”」にこそ幸せが宿るのだと描く。他者から「平凡」と思われる人生でも、自分にとって「特別」と思えることが「幸福」なのだと伝えていた。

 対して『だが、情熱はある』は、全ての回のナレーションで、「断っておくが(このドラマは)友情物語ではないし、サクセスストーリーでもない。そして、ほとんどの人においてまったく参考にはならない」と語っている。そう“前フリ”してから出る、『だが、情熱はある』というタイトル。さて、このドラマが語りかける「情熱」とは、いったい何なのか。

【最終回 本編予告「ロングVer」 】髙橋海人(King & Prince)、森本慎太郎(SixTONES)日曜ドラマ「だが、情熱はある」6月25日よる10時30分!【日テレドラマ公式】

 物語の主人公である山里亮太(森本慎太郎/SixTONES)と若林正恭(髙橋海人/King & Prince)は、南海キャンディーズとオードリーのツッコミという、共に息長く「売れ」続けている芸人だ。山里は今年の春から帯番組『DayDay.』(日本テレビ系)のメインMCに抜擢され、若林については冠ラジオ番組『オードリーのオールナイトニッポン』の番組イベントが2024年に東京ドームで開催予定という、誰もが認める「売れっ子」のふたり。どこが「サクセス・ストーリーではない」んだ? という見方もあるかもしれない。「何者かになる」「芸人として売れる」。ふたりに共通する「欲求」は、叶えられたのだから。

 しかし、日本を代表する「自意識こじらせモンスター」のふたりは、それぞれの高校時代の鬱屈にはじまり、芸人としての不遇時代を経て、『M-1グランプリ』で頭角を現して「売れ」てもなお、「手にとって確かめられる幸せ」を実感できない。先輩芸人・谷ショー(藤井隆/前田健がモデル)が、何度も繰り返してきた「今、幸せ?」という問いに対しての、輪郭のくっきりとした、まごうことなき「正解」は、若林も山里も掴めていない。ふたりともまだ「道の途中」なのだ。

 だが、それこそが人生であり、この作品が示す「幸福論」なのではないか。「これが幸せ」なんて、一生かかってもわからないかもしれない。けれど、その「形のないぼんやりしたもの」を追い求めてもがく道程、そして今もなおもがき続けることが「情熱」であり、その過程が実は「幸せ」なのかもしれない。

 物語は終始、山里と若林の「内なる闘い」を描き続けてきた。つまり「幸せ」とは、「売れてる」「冠番組がある」「奥さんが女優」などといった「外からの評価」に依拠する相対的なものではなく、「自分が今、生きている実感を得られるか否か」という絶対的なものなのではないか。

『だが、情熱はある』に込められた人類愛 山里亮太と若林正恭はカッコ悪いからカッコいい

南海キャンディーズ・山里亮太(森本慎太郎/SixTONES)とオードリー・若林正恭(髙橋海人/King & Prince…

 『たりないふたり』という企画ユニットのコンビ名は、「人間として色々と“たりない”」山里と若林の性質を表したものには違いないが、同時にふたりの芸人としての業(ごう)、ひいては人間の性(さが)を象徴しているようにも思える。どこまで行っても「面白さ」のゴールはないし、「幸せ」の正解はない。いつになっても「たりる」ことはない。だからこのドラマは「サクセスストーリーではない」のだ。

 無様でも、傷だらけでも、カッコ悪くても、「でも、やるんだよ」の精神。その貪欲さ。このドラマを、そして山里と若林の生き様を目にした者は、そこに痺れる。漫才とは、その芸人の「生き様」そのものだ。

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