『らんまん』は何年経っても“消えない作品”に サブキャラにとどまらない丈之助の重要性
『らんまん』第12週のサブタイトルになっている「マルバマンネングサ」は万太郎(神木隆之介)の名前が取り入れられた植物の名前である。万太郎の苗字が、モデルの牧野富太郎と漢字は違うが音が同じであったのは、“マキノ”でないとマルバマンネングサの学名が変わってしまうからかもしれない。
第12週では、紆余曲折を経て、万太郎の植物学の研究が、ロシアの植物学者の権威・マキシモヴィッチに認められたり、寿恵子(浜辺美波)との結婚話が進んだり、万太郎の今までやってきたことが報われる。前半のクライマックス直前である。綾(佐久間由衣)と洋装がお似合いの竹雄(志尊淳)との関係もぐっと進展し、タキ(松坂慶子)の長い人生の総仕上げも近づいている。
第12週で印象的だったのは、万太郎のライフワークとなる植物図鑑制作は、自腹で、しかもすごく負担が大きい。それでも結婚してほしいと言うわりとむしのいい万太郎に、寿恵子が少しもひるまず、分冊を提案することだ。それを万太郎は「八犬伝方式」と命名する(第56話)。
このとき、寿恵子が敬愛する滝沢馬琴が目を悪くしても口立てで最後まで『南総里見八犬伝』を完結させたことを例にあげる。東大で文学を学ぶ丈之助(山脇辰哉)は、滝沢馬琴を好きだが、彼はもう古い、葬り去られる存在だと否定するが、寿恵子は「たとえ作者が亡くなっても完結した物語は消えません」「百年たっても消えやしない」と力説する。
寿恵子の意見に、完結することは絶対ではないのではないか、未完も悪くないのではないかと観ていて思う視聴者もいたのではないだろうか。筆者もそのひとりである。未完の名作は数ある。例えば、太宰治の『グッド・バイ』や芥川龍之介の『邪宗門』。これらはまだ『らんまん』の時代には存在していないが、令和の今もなお読み継がれている。
寿恵子はなぜ、完結させないといけないと思い込んでいるのだろうか。寿恵子の説く完結することの重要性が、万太郎のこれからの原動力になるだろうと推測されることと、若さゆえの純粋さの表れにも思える。
このくだりで、筆者が勝手に妄想したのは、『らんまん』の脚本家・長田育恵は今、朝ドラという長い物語を完結させるために格闘しているに違いないということだった。しっかり完結させ、歴史に遺るものにしたいという強い思いで刻み込むように書いているのではないかと想像する。
朝ドラは長距離走なものとよく言われる。放送は半年、準備も含めたら2年くらい、懸命に走り続けるわけだが、放送が終わるとすぐに次回作がはじまって、ある意味、忘れ去られてしまう。なかには、たとえ、作品のクオリティが若干落ちたとしても、終わりよければすべてよし的で、とにかく半年、続けることが最優先という印象のまま終わってしまった作品もある。あるいは、瞬間、瞬間、話題になればいいみたいなものが作られてしまうこともある。作家であれば、消費される商品ではなく、あとにちゃんと残るもの、何度も繰り返し観ることのできる作品を作りたいのではないか。『らんまん』は“作品”をつくろうとしている、そんな気概を物語の節々に感じる。とりわけ第10、11週の完成度は高かった。
寿恵子が万太郎の部屋にはじめて入った日、万太郎と寿恵子をさらに接近させるきっかけとなる丈之助の使い方もいい。万太郎と寿恵子、ふたりきりだと段取りくさくなってしまうところを、丈之助の存在でおもしろいものになっている。