入門編としても最適&最高 『カード・カウンター』でポール・シュレイダーの沼にハマる

 ポール・シュレイダー(1946年、米ミシガン州生まれ)は本気を出した時がヤバい。

 『聖なる映画―小津/ブレッソン/ドライヤー』(山本喜久男訳、フィルムアート社/1981年刊行)などの著書もある批評家・論客にして、『ザ・ヤクザ』(1974年)から始まり『タクシードライバー』(1976年)や『レイジング・ブル』(1980年)などの脚本家として主に知られる彼。ベテラン職人といった側面もあるが、しかしアクセルを踏み込んだ時、その特異な個性が鮮烈に唸りを上げる。真の鬼才と呼ぶにふさわしい映画作家だ。彼の監督・脚本による2021年作品『カード・カウンター』は、まさに本領発揮と言える快作。製作総指揮を務めたのは盟友のマーティン・スコセッシ。仏「カイエ・デュ・シネマ」誌の年間第9位など、あらゆる専門メディアのベストリストに選出されたのも納得のできばえである。

 オスカー・アイザックが扮する本作の主人公は“サムライ”のように禁欲的なギャンブラー、その名もウィリアム・テルだ(ご存じ、息子の頭に乗せた林檎を弓矢で射抜いたエピソードで有名な中世スイスの英雄と同じ名前である)。この設定から、スコセッシがブライアン・デ・パルマを通じてシュレイダーと知り合ったばかりの頃、ドストエフスキーの小説『賭博者』をもとにした脚本を彼に書いてもらおうとしていた、という有名な逸話を想い出す人も多いだろう。

 しかし『賭博者』の主人公アレクセイがルーレットのギャンブル依存により身を滅ぼしていくのに対し、『カード・カウンター』のウィリアム・テルは真逆のタイプである。「小さく賭けて小さく勝つ」が彼のモットー。腕は一流なのにあえて少し寂れたカジノに出入りし、大勝せず常に抑制する。いつもモノトーンの服に身を包み、決して目立たず、匿名でいることを好み、自分のペースとフォームを淡々と守り続ける。これは「9勝6敗」「勝ちすぎてはいけない」「適当に負けることが大事」などと説いた、阿佐田哲也のギャンブル及び人生哲学に通じる態度とも言えるだろう。

 ところでウィリアム・テルはカジノを渡り歩く前、米カンザス州の軍刑務所(U.S.D.B.)に8年半も服役していた。何の罪を犯したのか? それはイラク戦争に従軍中、悪名高いアブグレイブ刑務所(現・バグダッド中央刑務所)の警備官として捕虜たちに凄惨な拷問を行っていたのだ。今もなおウィリアム・テルを襲う悪夢的フラッシュバック――米軍の忠実な犬として全裸のイラク人兵士たちを虐待していた頃の回想シーンが、超広角レンズを使用し、ヒエロニムス・ボスの絵画をイメージしたという地獄絵図としてインサートされる。

 この件はもちろん実話ベースである。アブグレイブ刑務所での米軍関係者による非人道的行為は2004年にマスコミによって摘発・公表され、深刻な軍事スキャンダルとなった。その際の軍法会議で有罪となった職員のひとりがウィリアム・テルという設定だ。幸か不幸か、映画の冒頭のナレーション(=モノローグ)で語られるように、彼は「ムショ暮らしに向いていた」。ルーティンの日課を好み、鍛錬に勤しみ、独房では読書を楽しみ、五賢帝に数えられる古代ローマ皇帝、マルクス・アウレリウスの『自省録』などを読み耽る。

 しかしその間、本当に悪い奴はどうしていたか。彼らを現場で指揮していた民間コンサルタントのジョン・ゴード(ウィレム・デフォー)は刑罰を逃れ、今はカイロで会社を経営してのうのうと暮らしているというのだ――。

 こういった過去と背景を持つウィリアム・テルは、まさしく「ポール・シュレイダー的人物」の濃厚な典型と言えるだろう。暗い情念とトラウマを抱え、オブセッション(強迫観念)に苛まれていること。表向きは寡黙で心の声が多く、誇大妄想の気を抱えながらも、やがて来る爆発の時を待っていること。彼らの多くは「復讐」という個的なテロルの回路で、おのれの贖罪や自らの正義を遂行しようと試みる。

 例えばスコセッシ監督と組んだ脚本作『タクシードライバー』のベトナム帰還兵の運転手トラヴィスがそうであるように。あるいは監督作『ハードコアの夜』(1979年)で、ポルノ映画に出演させられた娘の仇を討とうとする父親のように。さらには『魂のゆくえ』(2017年)で亡き環境活動家の青年の魂を引き継ぎ、巨大企業との癒着にまみれた教会に牙を剥こうとする牧師のように。

 おそらく多くの観客は『カード・カウンター』の出だしから前半までは、『シンシナティ・キッド』(1965年/監督:ノーマン・ジュイソン)や『ラウンダーズ』(1998年/監督:ジョン・ダール)のような、ギャンブルの勝負をスリリングに描くジャンルムービーだと思っていたはずだ。もしくは阿佐田哲也原作の『麻雀放浪記』(1984年/監督:和田誠)のような賭博師の宿業を描くドラマか。しかしウィリアム・テルは、ギャンブル・ブローカーの女性ラ・リンダ(ティファニー・ハディッシュ)、そして宿敵ジョン・ゴード絡みの因縁で結ばれた若者カーク(タイ・シェリダン)との出会いをきっかけに、もう「ポール・シュレイダー的人物」でしかあり得ない運命へと向かっていく。

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