北野武の“乾いたリアリズム”は『首』ではどう生かされる? 異色の時代劇になる予感

北野武監督作『首』への期待

 北野武による6年ぶりの監督作『首』が今秋に公開されることが決定した。舞台となるのは、戦国時代、日本史上もっとも有名な事件のひとつと言っても過言ではない「本能寺の変」。構想は30年、大河ドラマなどでは描かれない“人間の汚い部分や業”をテーマにしているという。そんな本作への期待をライターの成馬零一氏は次のように語る。

「北野監督は過去に『座頭市』(2003年)を手がけていますが、実在の人物が登場するわけではなく、純粋な“時代劇”とはいえないかもしれません。『首』は誰もが知っている織田信長、明智光秀、羽柴(豊臣)秀吉らを描く時代劇。過去の監督作のどれとも共通しない、新境地といえる作品になる予感がしています」

 成馬氏は北野作品の魅力である「乾いたリアリズム」が、本作では十二分に発揮されるのではないかと予想する。

「北野監督作品の特徴として、“乾いたリアリズム”があります。ヒューマニズムやロマンを徹底的に排除したことによって際立つ非人間的な部分に独自の面白さがある。『アウトレイジ』シリーズはまさにその点を極めた作品だったと思いますが、戦国時代という死が常に隣り合わせの時代でその魅力がどう発揮されるか。現在も徳川家康を主人公とした『どうする家康』がNHK大河ドラマで放送されているように、戦国三英傑(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)は、どうしてもその人生が“ロマン”をもって描かれてきました。だから、彼らを描くと、どうしても情感が込められたドラマ性を持ったものが定番だっただけに、実は、北野映画の哲学とは相性が悪いんですよね。例えば、三谷幸喜さんであれば、英傑たちを演じる俳優の魅力を最大限に引き出す演劇的なアプローチとなるため、リアリズムから離れたものなることもしばしばあります。だから三谷さんは、時代劇という実在の人物を登場する史実の部分と、史実にない余白の部分をフィクションとして組み合わせることが抜群にうまい。その作劇手法が最大限に発揮されたのが、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でした。演劇的なアプローチと正反対の北野監督の作風がうまく発揮されれば『アウトレイジ』を時代劇に落とし込んだような、今までにない新しい映画が生み出されるのではないかと思います」

 本作は第76回カンヌ国際映画祭カンヌ・プレミア部門への正式出品も決まっている。北野作品は海外での映画祭でも高い評価を得続けてきたが、その理由はどんな点にあるのだろうか。

「海外でも高く評価されてきた理由の一因として、表現が映像的で言語に依存していない点があると思います。4月15日に行われた『首』の会見でも、北野監督は「様式美」という言葉を多用していました。人間の感情をそぎ取った部分、最後に残った本能的な部分のみを本作では巧みに描いてくれるような期待があります」

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