『生きる LIVING』は名作をどうリメイクしたのか? 黒澤明監督のオリジナル版と比較考察

 黒澤作品『生きる』は、もともと原作のないオリジナル脚本による映画だった。脚本を担当したのは、自作の脚本を数多く執筆している、脚本家としても一流の黒澤明。さらに、まだ脚本家として駆け出しだったが、『羅生門』(1950年)で手腕を発揮し、ヴェネチア国際映画祭最高賞に作品を押し上げ、黒澤とともに日本映画界を躍進させた橋本忍。そして、すでに数多くの伝説的な映画監督と組み、日本映画界で確かな地位を築いていた小國英雄の3人だ。

 橋本忍は、のちに著書『複眼の映像―私と黒澤明』(文藝春秋)にて、このときの脚本執筆について回想している。まず、黒澤が発想のきっかけとなるテーマ「後、七十五日しか生きられない男」という文言を藁半紙に書き出し、「そのテーマからは絶対に外れないようにね」と、橋本に手渡したという。

 橋本が、主人公の職業を市役所に務める職員に定め、大枠のストーリーを設定すると、黒澤は、住環境に下水が溜まっていることについて陳情にやってきた婦人たちが、役所の課などをたらい回しになるという冒頭を書き上げたという。すると小國は、毎日ふとんの下に背広のズボンを敷いて寝ているなど、主人公の詳細なパーソナリティを練り上げていく。

 「後、七十五日しか生きられない男」……そんな黒澤の無造作な一刀から、まさに巨石に精緻な彫刻が掘り出されていくように、3人の見事な共同作業で、脚本は少しずつできあがっていく。だがある日、箱根の温泉旅館で黒澤と橋本が詰めの段階に入っていると、約束から数日遅れて現れた小國は、脚本の構成に文句をつけ、黒澤と激しい言い争いになったのだという。

 問題となったのは、脚本の終盤における処理である。余命いくばくもないことを知った市役所の職員は、最期までの生き方を模索した末に、自分の普段の仕事のなかで、意義あることがやれるはずだということに気づく。そこから下水溜まりのあった場所を、子どもたちが遊べる公園として開発するために尽力していくのだ。しかし、これをただ描写していったのでは、主人公の行動があまりにも英雄然としていて、その視点から描かれる物語が、少々鼻についたものになってしまう。だから、小國の反対意見によって、映画の終盤にさしかかる前に主人公が亡くなり、他者の目線から主人公の回想を語るという方法を選ぶことにしたのだ。

 黒澤は小國に腹を立て、彼の目の前で、先ほどまで練り上げていた、3、40枚もの原稿の束を破り捨てた。しかしそれは、小國の意見の正当性を認めて、さらに作品を良くするように善処する意思を固めたということでもある。このように映画に情熱をかけ、私情だけに囚われず少しでも良いものにしていこうとする気概には、胸を打たれるものがある。

 結果として『生きる』は、ストレートな感動物語というよりも、真に生きる目的を持って充実感を得る者と、理想を持ってはいても、なかなかそうは生きられない者たちの境界を示す、ビターな味わいの内容を強調するものになった。そこには、戦後の時期に日本という国や国民が、戦前と変わらねばならないことを意識しつつも、本質的に変わることができているのかという、一種の社会批判が込められていたようにも感じられる。感動物語だと思って涙していた観客たちが、逆にスクリーンから厳しい指摘を受けるのである。

 こういった居心地の悪さこそ、この時代のクリエイターの知性を反映するものだ。観客に良い気持ちになってもらうよりも、作品を観たことで何かをつかみとってもらいたい、劇場の中だけで完結するのでなく、観客の人生に映画を刻みつけ、自分たちの意志を活かしてほしいという、熱い気持ちが、物語や演技、映像に備わっているのである。

 カズオ・イシグロが、『生きる』に惹かれたというのは、まさに現代の創作が失いかけている、このような気持ちそのものなのではないか。映画が人間を変え、世界を変える……そのような大それたことを愚直なまでに信じ、諦念に負けないように魂を込めていく。「ちょっとでも温かい気持ちになってもらえたら」、「新たな視点を感じてもらえたら」と語る、現代の映画製作者は少なくないが、そんなどころでなく、観客を責め苛むところまでいって、選択を突きつけるのである。『生きる』の主人公の気概は、まさにそんな強靭な意志を持った脚本家たち、熱い映画人たちの姿勢そのものでもあるのだ。

 だからこそイシグロは、イギリスの風俗を脚本に反映させるとともに、最大限にオリジナルにリスペクトを払いつつも、設定や構成までをも、ある程度カスタマイズするという挑戦に出ている。そのアグレッシブな姿勢はあたかも、イシグロが黒澤、橋本、小國と、時空を超えて対話する、第四の脚本家になろうとしたかのようである。その的確な手腕と度胸、そして適性において、彼以上の存在は考えられなかった。そして、イシグロの思いもまた、当時の黒澤監督らと同じく、観客の意識を変革することだったのだろう。本作を観るということは、そんな厳しさ、苦さをもひっくるめて味わうということである。

 本作とは直接関係のない話ではあるが、先日、音楽家の坂本龍一氏が、がんの闘病の末に亡くなった。生前から、地雷除去活動や原発反対運動などに参加し、社会を改善することに尽力していた氏は、最近も明治神宮外苑の再開発で樹木が切り倒されることに反対を表明し、都知事にうったえるなど、最後まで政治的な意味でも社会に貢献する努力をやめなかった。それはまさに、『生きる』の主人公を地でいくような生き方だったといえるだろう。この場を借りて、坂本龍一氏の生前の業績や活動、真に“生きる”姿勢を示してくれたことに、敬意を表したい。

■公開情報
『生きる LIVING』
全国公開中
出演:ビル・ナイ、エイミー・ルー・ウッド、アレックス・シャープ、トム・バーク
原作:黒澤明監督作品『生きる』
監督:オリヴァー・ハーマナス
脚本:カズオ・イシグロ
音楽:エミリー・レヴィネイズ・ファルーシュ
製作:Number 9 F
配給:東宝
©Number 9 Films Living Limited
公式サイト:ikiru-living-movie.jp

関連記事