『すずめの戸締まり』に詰まったロードムービーの醍醐味 旅の中で経験する“擬死再生”
「車が停止する映画」としてのロードムービー
最後に、少し違った視点から本作のロードムービー性について考えてみよう。
映画評論家の梅本洋一氏が自身の著書の中で次のように述べている。
ロードムーヴィーとは車が走る映画ではない。それは車が停止する映画である。
ロードムーヴィーとは車のスピード感を映画独特の時間として提示する映画ではない。車が停止することで〈物語〉が新たな展開を呼ぶ映画なのである。(※2)
これは非常に面白い分析である。『さすらい』や『リトル・ミス・サンシャイン』などロードムービーの有名な作品に、車が停止する描写が印象的なものは非常に多い。そして、新海誠監督のこれまでの作品を振り返っても、思い当たるシーンは数多くある。
『君の名は。』の主人公・瀧は、旅先で出会った男性に軽トラックに乗せてもらい、町のはずれのカルデラの中心にある御神体を目指すのだが、途中で下車し、自分の足で目的地を目指す。
一方で、ヒロインの三葉もまた、友人である勅使河原のバイクの後部座席に乗り、祭りに集まっている人たちに避難を呼びかけるべく神社へと向かうが、バイクは途中で横転し、その後、彼女は自分の足で父のいる役場を目指すことになる。
『天気の子』では、主人公の帆高が警察署から脱走し、陽菜と再会すべく廃ビル屋上の神社を目指すシーンが物語のクライマックスとなっている。ここで、帆高は須賀夏美のバイクに乗って、目的地を目指すのだが、バイクは途中で深い水たまりで動けなくなってしまい、彼は自分の足で走り出すこととなる。
このシーンがヴィム・ヴェンダース監督の『さすらい』の冒頭で、車が湖に突っ込み水没していくシーンに非常に似ているのは偶然だろうか。
そして、やはり『すずめの戸締まり』でも、主人公が自分以外の誰かが主導権を握っている乗り物で目的地に辿り着くことはない。
草太の友人・芹澤の運転する車は目的地に到着する手前で、土手に転がり落ちて、停車してしまう。その後、鈴芽の叔母・環の運転する自転車の後ろに乗って目的地を目指すのだが、最後に扉へと辿り着くのは、もちろん自分の足でなければならなかった。
このように新海誠監督の作品では、乗り物が停止すること、そしてそこから自分の足で目的地を目指して進むこと、この連続性に重要な意味を見出しているように感じられる。特に今作は「車が停止する映画」であり、「車が目的地には辿り着かない映画」でもあるわけだ。
梅本氏は、「車が停止する映画」あるいは「停止によって〈物語〉が再構築される映画」であることがロードムービーの基本原理ではないかと語っている。もしそうなのだとしたら、『すずめの戸締まり』という作品は、やはり真にロードムービーなのだと思う。
誰かが目的地へと導いてくれる。誰かが主導権を握っている乗り物に身を委ねていればいい。そういう他者の〈物語〉からの脱却。自分の足で自分自身の〈物語〉を再構築していくという選択と覚悟。
『すずめの戸締まり』には、ロードムービーとしての醍醐味と面白さが詰まっている。
参考
※1. 遠山純生・編『追憶のロード・ムーヴィー 視界をよぎる風景-移動する映画たち』
※2. 梅本洋一『映画=日誌 ロードムーヴィーのように』
■公開情報
『すずめの戸締まり』
全国公開中
原作・脚本・監督:新海誠
出演:原菜乃華、松村北斗、深津絵里、染谷将太、伊藤沙莉、花瀬琴音、花澤香菜、松本白鸚
キャラクターデザイン:田中将賀
作画監督:土屋堅一
美術監督:丹治匠
音楽:RADWIMPS、陣内一真
主題歌:「すずめ feat.十明」RADWIMPS
制作:コミックス・ウェーブ・フィルム
制作プロデュース:STORY inc.
配給:東宝
©︎2022「すずめの戸締まり」製作委員会
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