稲垣吾郎を稲垣吾郎にした今泉力哉 『窓辺にて』は集大成であり“フェーズ2”の一作に

 『窓辺にて』では、稲垣吾郎がただそこにもう一人の稲垣吾郎として映っている。『半世界』(2018年/阪本順治監督)あるいは『十三人の刺客』(2010年/三池崇史監督)のように周到な演技設計のもとで極端に変身してみせた稲垣吾郎ではなく、ただそこにいるだけの稲垣吾郎である。小説をかつて1冊だけ出したあと、書くのを断念してしまった元小説家の茂巳は、稲垣吾郎の分身である。今泉力哉は稲垣吾郎の当て書きで茂巳という主人公を生み出した。妻の不倫に怒ることさえできない男、そして怒れない自分にショックを受けている男。

「今回の台本は、すごく“本当の僕”を書かれちゃってる感じがしてしまって……。今泉さんに見透かされる感じ。ちょっと怖いですよ」(稲垣吾郎)

 そして妻の不倫に怒れない茂巳という登場人物のあり方に対してインタビュー中の女性取材者が「分からない」と言って怒り出したエピソードがあるそうだが、稲垣吾郎は「僕としてもこの感情は分からなくもない」と語る。

「浮気に対して怒りを感じないからといって、じゃあ愛していないのかと聞かれたら、そんなことはない。悲しくても泣けないときがあるように、これは心の問題なんですけど、僕自身、けっこう飄々としているので、そういうところがあったりする」(稲垣吾郎)

 怒り出した女性取材者の態度はいわば世間の標準だと言える。実際のところ映画の中でも、妻の不倫に怒りが湧かないことを若い友人夫婦(若葉竜也&志田未来)に相談したとき、これを聞いた若妻(志田未来)が激怒して「もうお帰りください」と叫ぶシーンがある。この怒りを茂巳はもっともだと納得する。自分は単に修羅場を面倒くさがっているだけの冷淡な男なのだと。そしてこの納得は監督自身のものでもある。

「私自身が“もし奥さんが浮気したら、俺、怒れるかな?”とふと思っちゃったことがあって。これは妻の浮気だけに限ったことじゃなくて、別に感情に蓋をしているわけではないんですけど、幼少期から喜怒哀楽をどっか分かりやすく外に出せない、みたいな感じがあって」(今泉力哉)

 鬱々とした不感症の感覚が身体にベッタリと張り付いている。この身体感覚を持て余したやりきれない感情一本だけで映画を作ってしまおう――。このプランは素晴らしい成果を上げた。決してこれまでの作風から完全離脱しようとはしておらず、「え?」の反復から形成されるとぼけた会話の妙や、人間喜劇の系図配置はそのままに、古着屋、カフェ、パン屋といった若者風俗をいったん清算し、古風な喫茶店だけがかろうじて主人公の嗜好を物語る。

 人物系図の双六のような話法は健在だけれども、ここには稲垣吾郎の身体感覚と共にだけあろうとする作者の姿勢に、大きな器を感じさせた。登場人物を真に生きさせようとしている。作者は素直に同調してくれはしまいが、確かに今泉映画は新段階に突入しているように思える。

参照

※文中の稲垣吾郎、今泉力哉の発言はプレスシート、ならびに「キネマ旬報」11月上旬号から引用

■公開情報
『窓辺にて』
全国公開中
出演:稲垣吾郎、中村ゆり、玉城ティナ、若葉竜也、志田未来、佐々木詩音
監督・脚本:今泉力哉
音楽:池永正二(あらかじめ決められた恋人たちへ)
主題歌:スカート「窓辺にて」(ポニーキャニオン/IRORI Records)
配給:東京テアトル
©︎2022「窓辺にて」製作委員会

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