『森の中のレストラン』を観て考える、自分自身の命を慈しむこと

 青々とした木々で覆われた空、踏みしめることでフカッと音をならしそうなほど柔らかな緑色の地面。本作の冒頭はそんな生命力に溢れた豊かな空間の描写から始まる。一方で、木の幹が何かの重さに耐えかねて悲鳴をあげているかのような、ジジジという不穏な音もする。生きること、死ぬこと。映画『森の中のレストラン』には、その両方が描かれている。本作は、自然の豊かさや、食事をすること、そして人との関わりを通して、一度死を決意した人々が、ゆっくりと前を向こうとする物語だ。

 本作は、人里離れた森の奥にあるレストランを舞台に、一度は死のうとした場所に留まり、レストランを開いたシェフ・京一(船ヶ山哲)と、家庭内暴力に苦しめられる過酷な日々から逃れ、死を決意して森を訪れた少女・紗耶(畑芽育)との出会いを描いた作品である。『ハコヅメ~たたかう!交番女子~』(日本テレビ系)、『青天を衝け』(NHK総合)、『純愛ディソナンス』(フジテレビ系)など多くのテレビドラマ作品に出演する畑芽育が、これでもかというほど過酷な状況に耐え、折れそうになる気持ちを何度も奮い立たせ、生きようとするヒロイン・紗耶を好演している。一度は死を選ぼうとした紗耶が、京一のレストランで働き、欣二と京一の優しさに触れることで徐々に目に輝きが生まれ、生き生きと働き、時に冗談を交えながら笑い合うようになる姿は、本作における救いである。また、彼女が接客の仕事をしている時に稀にする、楽しくてたまらないかのように小さくゆっくり足をトントンと揺らし、もたつかせる、癖なのだろうその動作は、本作において、ある種の魔法のような効力を持っている。なぜならそれは、全篇を重く支配している、冒頭の、木にロープを括り付けて死のうとしていた主人公・京一の行動と、鳴り響く「何かの重さに耐えかねて悲鳴をあげているかのような、ジジジという不穏な音」がイメージさせるものとは対照的な、軽やかな生への渇望を感じさせ、観客を安堵させるものだからである。

 監督は、本作が長編監督第1作目となる泉原航一。著名人の自殺報道が重なっていた頃、「ゲートキーパー」という言葉を知ったという泉原は、それをテーマに映画を作ることを決めたという。「ゲートキーパー」つまり「門番」。自殺対策におけるゲートキーパーとは、「自殺のリスクにつながるような悩みに気づき、声をかけ、話を聞き、必要案支援につなげ、見守る人」のことを言う。本作においては、最初に死のうとする京一に声を掛けた猟師・欣二(小宮孝泰)がまさに「ゲートキーパー」の役割を果たしていると言える。彼もまた、京一と同じように、愛する人を失った哀しみと共に生きている人物だ。

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