『鎌倉殿の13人』はこれまでの大河と何が違うのか 小栗旬演じる義時の“覚醒”が近づく

 やはり、三谷幸喜の掌の上で転がされているーー。

 あっという間に後半戦に入ったNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。大河の花形=戦国や幕末でなく、平安末期から鎌倉時代を描くこの作品はとてつもない濃度をもって観る者の心に矢を放つ。ここでは本作がこれまでの大河となにが違うのかあらためて考えてみたい。

敵は“外側”でなく“内側”にあり

 歴史が大きく動く時代、それこそ戦国の世や幕末で敵はつねに外側にあった。戦国であれば天下を取ろうと割拠する他国の大名たち、幕末なら幕府側VS倒幕派という構図である。だが『鎌倉殿の13人』では外側の敵の存在感は驚くほど薄い。源氏にとっての最大の敵、平家の御大・平清盛(松平健)は寝具の上であっさり死んでいったし、源頼朝(大泉洋)をさんざん翻弄した後白河法皇(西田敏行)も同じくで、残った平家の者たちはいつの間にやら静かに消えた。

 では、源氏の頭領・源頼朝の敵はどこに在るのか。

 それは内側、つまり身内や味方側である。平家を追い詰める過程では舅や義兄であった伊東親子(浅野和之、竹財輝之助)、有力な豪族として源氏側についた上総広常(佐藤浩市)、同じく源氏一派である木曽義仲(青木崇高)とその嫡男・義高(市川染五郎)、平家を滅ぼしてからはじつの弟であり、大将として源平の戦いを制した九郎義経(菅田将暉)、政治から離れた地で穏やかに野菜を作っていた源範頼(迫田孝也)など、多くの源氏側の人間が頼朝の命により殺された。

 かつてここまで味方の命がそのリーダーにより奪われていく大河があっただろうか。三谷の筆は残酷だ。義経にしろ義仲にしろ、多くの人が抱くイメージをガラッと覆すキャラクターを構築し、物語の中で軽々と遊ばせ、私たちが彼らに気持ちを寄せたところでその命の炎をバッサリと消す。

 大河ドラマ視聴の醍醐味のひとつが、主人公やメインキャラクターが敵を倒し頂点に立つ過程を見守ることだが、『鎌倉殿の13人』にはその定説が驚くほど当てはまらない。当然だ、リーダーが味方側の人間を謀殺し、主人公がそれをさまざまな手を使って支えているのだから。

主役に“光”をあてない構成

 ここであらためて考えてほしい。本作の主人公は誰なのか。それは当然、北条義時(小栗旬)だが、現時点での義時は頼朝の懐刀(ふところがたな)であり、あくまで補佐的な立場だ。頼朝が太陽なら義時は月。太陽の輝きがなければ月は自らの存在を知らしめられない。そもそもタイトルの『鎌倉殿の13人』の鎌倉殿とは(今は)頼朝のことである。三谷幸喜は主人公にまばゆい光をあてず、月としての役割を担わせることで一歩引いたところから私たちに歴史を覗かせる。義時の視点を通して、武士の世の基盤を作った頼朝の姿をより鮮明に浮かび上がらせているのだ。

 この義時役を『BORDER』(テレビ朝日系)や『CRISIS 公安機動捜査隊特捜班』(カンテレ・フジテレビ系)のようにダークだったりシリアスだったりする作品でも、主人公として光を放って作品を導いた小栗旬が演じることが非常におもしろいし、小栗が自身の華やかさを消し、俳優としても月としての役割を完璧に担っていることで“シン・大河”ともいえるドラマに仕上がっていると感じる。

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