イマジネーションが炸裂した『犬王』に覚えた“ある違和感” 作品の魅力と問題点を考える
もう一つ、本作で危ういと思える点は、犬王が生まれながら“異貌”を持った表現者であるという設定である。その姿を見た者が逃げ惑うという描写があるように、彼は成長を遂げるまで継続して差別的な視線を浴びて育ってきた人物だ。そんな犬王は、パフォーマンスを通して語られざる物語を衆目にさらすことで、段階的に呪いから解き放たれ、人々が忌み嫌わないような姿に近づいていくことになる。感覚的には、手塚治虫の漫画『どろろ』のように、試練を乗り越えることで自分本来の身体を取り戻していくイメージである。
だがよく考えると、先天的な体の特徴が“呪い”として描かれ、それが歌とダンスで“治癒されていく”という物語は、犬王の“異貌”が現実の社会に存在する身体的な障害をどうしても連想させてしまうからこそ、そういった意図はないにせよ、物語自体に抑圧的な視点を含んでしまっていると感じてしまうのである。逆に、“障害を持っている人物が成功していく物語は、弱者に対するエンパワメントだと捉えることができる”という意見もあるだろう。しかし、犬王は障害を持っている表現者として周囲に受け入れられるのではなく、障害を取り去っていくことで認められていくのである。
おそらくはそれを見越して、湯浅監督は“異貌”を現実にある障害にリンクしないよう、その姿を非常に極端なものに見えるバランスにしているし、野木亜紀子の脚本も、身体が変化していくことを、はっきり良いことだと意図的に定めていないようにしているのは伝わってくる。
犬王の身体から呪いが解かれ、成功を手にした末に、時の権力者一人の寵愛を受ける存在になっていくことは皮肉ではある。過去の常識を飛び越えた革命的なパフォーマンスによって、多くの民衆の心を動かしたアーティストが、最終的に権力の走狗と化し、最もつまらない表現者になってしまうのである。それは残念ながら、現代でもしばしば見られるケースだといえよう。だからこそ本作の結末は、最も犬王が輝いたはずの、異貌の時代が映し出されて幕を下ろすのだ。
本作を、日本の一般的なクリエイターに任せたら、このような工夫もなく無神経なものになることは避け難かったはずである。湯浅監督や野木脚本だからこそ、大きな違和感を与えるバランスに陥らなかったのだ。とはいえ、それで本作の基本的な構造そのものが大きく変わっているわけではないのも事実だ。“異貌”と“呪い”をリンクさせた居心地の悪さは、どれだけ演出やセリフなどでフォローを加えていっても残り続けることとなる。この点については、物語の根本から考え直す必要があったのではないだろうか。
それでも原作小説が成立していたのは、それが「講談」や「落語」などの口述による娯楽を連想させる、非常にリズミカルで簡素な文体であったことで、納得させられていたように思える。19世紀末フランスを中心に広がった「自然主義」以来、場面を詳細に描写してリアリティを加えていくのが、現代に続くモダンな小説の基本的なアプローチだった。そういった表現から逸脱する古川日出男の筆致が、残忍な暴力だったり生々しい内容を扱いながらも、同時にそれらから俯瞰的に距離をとることに繋がったのだろう。
だが、それがひと度映像化されてしまうと、やはり現実とのリンクが強まってしまう。アニメーションは映像の全てが、クリエイターの意図の反映によって形作られていることを忘れてはならない。だからこそ本作に限っては、演出面か脚本面で、局所的に現実と一線を引くような、何らかの抜本的な変化が必要だったのではないかと感じるのだ。
その一方で、本作がセンシティブなものになってしまったのは、演出や脚本のみならず、複数のクリエイターが、いままでにない作品を手がけたいという、犬王や友魚にも通じる情熱を持って挑戦した結果であることもまた事実だろう。そういった信念は、日本のアニメーションや映画に最も必要なものでもある。本作『犬王』は、その意味で希望の象徴の一つであることも確かなことなのである。
■公開情報
『犬王』
全国公開中
声の出演:アヴちゃん(女王蜂)、森山未來、柄本佑、津田健次郎、松重豊、片山九郎右衛門、谷本健吾、坂口貴信、川口晃平(能楽師)、石田剛太、中川晴樹、本多力、酒井善史、土佐和成(ヨーロッパ企画)
原作:『平家物語 犬王の巻』古川日出男(河出書房新社刊)
監督:湯浅政明
脚本:野木亜紀子
キャラクター原案:松本大洋
音楽:大友良英
総作画監督:亀田祥倫、中野悟史
キャラクター設計:伊東伸高
アニメーション制作:サイエンスSARU
配給:アニプレックス、アスミック・エース
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