庵野秀明が突きつける“現実”とは何か 『シン・ウルトラマン』に感じる虚構のカタルシス
リアルと異なる物差しで映像を作る
庵野氏の狙いは虚構と現実の混交した空間作りだ。それゆえ、ただ一辺倒にリアリティを求める方向で映像を作らない。今回のウルトラマンや禍威獣(怪獣)は3DCGによって作られているが、ウルトラマンの体表にはスーツのシワのようなものが生じるようになっている。これは、CG技術の限界などではなく、わざわざ付け加えているものだ。禍威獣についても4足歩行の怪獣は、成田亨氏の元々のデザインが着ぐるみに人が入ることを想定していたため、生物学的にはおかしくともオリジナルのデザインを尊重した動きと関節を作り上げている。(『シン・ウルトラマン』公式パンフレットの佐藤敦紀x上田倫人の対談より)
また昔の特撮映画の合成技術のような、奇妙な遠近感のショットも存在している。ウルトラマンが放射能反応を持つガボラを持ち上げて、屋上にいる長澤まさみを振り返るカットなどは、リアルに考えるとおかしな遠近感でいかにも合成っぽく感じるが、これもわざわざ「作り物の空間」を紛れ込ませるためにやっているのだろう。
全編とおして、このような映像作りが徹底されており、「空想特撮映画」と銘打っている通り、どう見ても虚構の産物であるように敢えて見せようとしているところが、本作の特徴だ。
これは本当に変わった姿勢なのだ。映画とは、現実を加工なしに切り取れることこそが、既存の芸術にはない新しい要素だと見なして、それが映画批評の大きな柱となっていたわけだから、基本的に映像作りはリアルを求めて行われる。だが、庵野氏はリアルではなく空想を目指して映像を作る。庵野氏のこうした姿勢自体が、既存の映画のあり方に対するアンチテーゼになっている。
その姿勢ははまるで、映像は現実は切り取るというが、切り取った映像は本当に現実なのかと問いかけているようでもある。
実際に私たちは本当に現実を切り取ったものなのか、ゼロから作られた偽物なのか、映像を観ただけでは判断できない世界を生きている。例えば、とあるアーティストがUnreal Engine 5で作った日本の駅の映像はもはや本物と見分けようがない。
この技術進化は、従来の映画批評の観点で見れば正当な進化と言えるのだろう。驚くべき映像だ。しかし、この映像をUnreal Engine 5で作られたという情報なしに観た場合、どのようなカタルシスがあるだろうかとも考えてしまう(もちろん、現実には置けないカメラポジションも容易にできるメリットはあるが)。
庵野氏は、こうした方向性とは異なり、現実と虚構を混ぜ合わせて作り物のカタルシスを再帰的に表現しようと試みている。同氏は意識していないと思うが、その姿勢そのものが映画の歴史に対して真っ向から挑むような挑戦となっているのではないか。
そんな強烈なアンチテーゼを突き付ける作家が、今一番日本で観客を呼べる映画作家となっている点は、非常に面白いことだと思う。映画のあり方が変わってきているのだ。
映像がリアリズムの呪縛から解放された時、新しい可能性が開けると筆者は思っている。リアル以外にも映像が進化する道程は多彩にあるはずで、庵野氏はそういう可能性を切り開いているのだ。
とはいえ、本作の監督は樋口真嗣氏であり、庵野氏は撮影現場で指揮を執っていない。そのため、隅々まで庵野氏の考えや感性が反映された作品ではなさそうだという点は考慮した方がいいだろう。現実と虚構の入り混じる、実写ともアニメとも異なる独特の「トクサツ」空間の完成は、この先以降の庵野氏の監督作品に期待したいところだ。
参照
・『宮崎駿と庵野秀明(ロマンアルバム アニメージュスペシャル)』、P23、徳間書店、1998年6月刊行
・『ユリイカ 特集大島渚2000』、P67、青土社、2000年1月刊行
・『巨神兵東京に現る』2012年7月5日刊行、日本テレビ放送網株式会社、『館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技』別冊、P10
・『シン・ウルトラマン』公式パンフレットの佐藤敦紀x上田倫人の対談
■公開情報
『シン・ウルトラマン』
全国公開中
出演:斎藤工、長澤まさみ、有岡大貴、早見あかり、田中哲司、西島秀俊、山本耕史、岩松 了、嶋田久作ほか
企画・脚本:庵野秀明
監督:樋口真嗣
准監督:尾上克郎
副監督:轟木一騎
監督補:摩砂雪
撮影:市川修、鈴木啓造
美術:林田裕至、佐久嶋依里
VFXスーパーバイザー:佐藤敦紀
ポストプロダクションスーパーバイザー:上田倫人
アニメーションスーパーバイザー:熊本周平
音楽:宮内國郎、鷺巣詩郎
主題歌:「M八七」 米津玄師
(c)2022「シン・ウルトラマン」製作委員会 (c)円谷プロ
公式サイト:https://shin-ultraman.jp/
公式Twitter:@shin_ultraman