橋本淳、黒木華らによる2時間の濃密な会話劇 『もはやしずか』に感じた“演劇”への希望
「劇団た組」主宰の加藤拓也による最新作『もはやしずか』が東京・シアタートラムにて上演中である。橋本淳、黒木華、藤谷理子、天野はな、上田遥、平原テツ、安達祐実といった優れたプレイヤー陣、さらには声の出演に松井周を迎え、上演時間2時間の濃密な会話劇を生々しく立ち上げている。
慄然とさせられるクライマックスを目撃し、言葉を失う。劇場を後にして柔らかな春の風に当たっても、一度粟立った心はどうにも落ち着かない。そこには動悸が止まらぬ深い余韻があり、これが影響して帰路を誤ってしまう。すでに観劇した方で同じような状況に陥った方は少なくないのではないだろうか。本作が描くテーマは身近で深刻であり、非常に身につまされるものなのだ。
物語の主な舞台は家屋。キッチンやソファなど、アースカラーを基調としたシンプルなセットが配置され、その両サイドに客席が並び、俳優たちの一挙一動のすべてが観客の視線にさらされている。ここで、康二(橋本淳)と麻衣(黒木華)の夫婦と、康二の両親である雅夫(平原テツ)と郁代(安達祐実)の二組の夫婦の物語が立ち上がっていく。あらすじはこうだ。長いこと不妊に悩んでいた康二と麻衣の夫婦は、治療を経て念願の子どもを授かることに成功。ところが出生前診断によって、生まれてくる子どもが二分の一の確率で障がいを持っている可能性を知る。障害を抱える弟を事故により目の前で失った経験を過去に持つ康二は出産に反対するが、彼の過去を知らない麻衣は反対を押し切り出産を決意。すれ違う二人の思いは観客の想像し得ない結末へと向かっていくーー。
「出生前診断」をはじめ、「子ども」にまつわるさまざまな問題に材をとった本作は、登場人物たちの会話がことごとくズレている。彼らは大切なことをきちんと言葉にせず、当人たちとしては気遣いのつもりなのか、物事の核心からズレた要領を得ない会話が展開。“夫婦”という特別で親密な関係にありながらも分かり合うことができない、そんなコミュニケーションの難しさを見せつけられる。そこでは対面する者への過度の配慮や、自分の主張を押し通すために相手の声に耳を傾けぬ結果として「対話」が欠如しているのだ。
本作は文字通りの“会話劇”である。場面転換時を除いて音楽は使用されず、静寂に満ちた劇場空間では延々と会話が続くのみ。そんな2時間が成立するのは、加藤の脚本と演出による静と動のメリハリが効いた物語運びの巧みさはもちろん、俳優たちの緩急自在な演技があってこそ。息を殺して見つめずにいられない。加藤作品『誰にも知られず死ぬ朝』でも共演した平原テツと安達祐実のコンビは、兄・康二と障害を抱える弟・健司の両親に扮し、息子と意思疎通ができないことへの戸惑いと歯がゆさ、そして喪失した後の苦しみを訴えている。当事者である雅夫と郁代が他者の無理解にさらされた末に発する怒りと悲しみの叫びは、淡々と続く会話を目にする多くの観客にとって、不意に刃物を突きつけられるようなものなのではないかと思う。劇中では当事者と非当事者の会話が展開するが、物語を客席で享受している私たちは、このどちらでもない。しかし二人の切実な訴えが、観客をこの関係性の中に取り込むのだ。