巨匠A・コンチャロフスキー、最新作『親愛なる同志たちへ』、そしてウクライナ侵攻を語る

 アンドレイ・コンチャロフスキー監督(84歳)。黒澤明の原案に基づく『暴走機関車』(1985年)や、シルヴェスター・スタローン主演のポリスアクション『デッドフォール』(1989年)などを手がけた国際派の巨匠である。ウクライナ情勢が深刻化の一途をたどる現在、偉大な経歴をもつロシアの大家に対してリモートとはいえ取材できたことは貴重な機会であり、ここにそのきわめて貴重な口述録をお届けしたい。

 新作『親愛なる同志たちへ』が4月8日から公開されている。本作は2020年のヴェネチア国際映画祭で審査員特別賞を受賞し、金獅子賞のクロエ・ジャオ『ノマドランド』、監督賞の黒沢清『スパイの妻』などと栄光を分け合った。

 1962年6月、ロシア南部の都市ノヴォチェルカッスクで発生した労働者の大規模ストライキは、治安部隊による大量虐殺という惨事を招いた。この虐殺事件はソビエト崩壊後の1992年まで、30年間も隠蔽されてきた。今回、歴史の恥部と言うべき事件にコンチャロフスキー監督は真正面から向き合っている。舞台となったノヴォチェルカッスクは、本作はじめ多くのコンチャロフスキー映画の主演者であり、監督の妻でもあるユリア・ビソツカヤの生まれ故郷でもある。

「妻だからといって無条件に自作にキャスティングされるわけではなく、私は彼女に対してつねに役者としての敬意を抱いてきました。私がイタリアでギリシャ悲劇『コロノスのオイディプス』の舞台演出をした時、彼女はアンティゴネーの役を演じました。非常に悲劇的な役柄であり、その時にふと、彼女に映画でも悲劇的な登場人物を演じてもらったら良さそうだと考えました。そこからどんなものがいいかと題材を探しはじめ、ノヴォチェルカッスク虐殺事件に突き当たったわけです」(アンドレイ・コンチャロフスキー)

 映画の冒頭、タイトルバックにソビエト国歌が流れ、ドキッとさせられる。この楽曲はソ連が消滅した現在はロシア国歌として引き継がれているが、奇しくもこの国歌の作詞者は監督の父であるセルゲイ・ミハルコフ。しかし監督曰く、今回はそこに深い意味は付与してないのだという。当時は朝6時になるとラジオやテレビで国歌が流れ、必然的にみんなが聴くことになっていた。では、もうひとつの歌はどうだろうか? ヒロインのリューダ(ユリア・ビソツカヤ)や、彼女に親切に接するKGB諜報員のヴィクトル(アンドレイ・グセフ)も折にふれて口ずさむ、あの印象的な歌……。

「この歌もたまたまなのですが、じつは父セルゲイが作詞したのですよ。エイゼンシュテインの共同監督としても知られるグリゴリー・アレクサンドロフ監督の大ヒット作『春』(1947年/日本公開題名『恋は魔術師』)の挿入歌です。あの楽曲を私が好きだったわけは、未来に向けての楽天的な歌詞である一方で、そこはかとなく悲しみも感じられるからです。映画『春』は試練を前向きに乗り越えていくという内容であるけれども、じつは今回、『親愛なる同志たちへ』の脚本を書く前段階ですでに、娘のスヴェッカ(ユリア・ブロワ)が虐殺されたと思いこんだリューダがあの歌を歌うということを決めていたのです。それを妻のユリア・ビソツカヤに話したところ、『まだあの状況であの歌を歌わせるわけ?』と言われてしまいました。『いや、なぜかはわからないんだが、歌うべきだと思うんだよ』と私は返しました。なにかが立ち現れたという感覚、良い発見をしたという感覚を持てたのです」(アンドレイ・コンチャロフスキー)

 理想と現実。楽天と悲愴。一方はもう一方に侵食されるものの、ひとつの色に染まることもない。『親愛なる同志たちへ』はそうした両義的な感触をもたらすのかもしれない。登場人物たちはたがいにギスギスし、やがて悲惨な虐殺事件も発生するが、かといってヒューマニズムも立ち消えになってはいない。KGBの諜報員という一番イカツそうなキャラクターが意外と親切なやつだったりする。また、大虐殺の凄惨さとは裏腹に、6月のロシアの美しい初夏の情緒がたっぷりと映っている。これは映画ファンの方々ならよくご存知かもしれないが、ロシア映画というのは伝統的に夏のシーンがいつもいい。素晴らしい情緒に溢れていることが多いのである。

「自分の親の世代、1930年代、40年代、50年代の人々はとてもピュアでした。自分の信条に対しても『自分の人生をこのように生きねばならない』という純粋な思いが横溢しています。でも現実的には純粋さとは逆な方向に状況が向いていた。いま話していることは政治家たちのことではなく、市井の人々のことです。彼らが戦争に赴いた時も、彼らにはみずからの信条がはっきりと見えていたし、それを信じられたのです。そして戦地に到着する。そこがまた人生の悲劇でもあるわけですが」(アンドレイ・コンチャロフスキー)

 作品の中でちょっと理解できないシーンがあったため、監督に尋ねてみた。リューダの父が古い軍服を着てポーズを取るシーン。父は娘から「そんな記章を着けていると投獄されるよ」と注意される。あの軍服のいったい何が、当時としてはまずかったのだろうか。

「あれにはロシア史の重要な意味が込められています。映画の舞台となったロシア南部は帝政時代には、非常に軍事化されたトライブである、コサックが多数住んでいました。彼らは生き延びるために軍事組織を強固に形成し、ふだんも兵士のように暮らし、みんなあのような軍服を着ていました。コサックはソ連時代には革命やボリシェヴィズムに対する反旗の象徴として見られるようになります。そんな時代のものを父親がなつかしんで身につけるのは、あの時代としては非常に危険だったということです」(アンドレイ・コンチャロフスキー)

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