リドリー・スコット監督による一大巨編 『ハウス・オブ・グッチ』は哲学的な問いに迫る

 イタリアの高級老舗ブランド「GUCCI(グッチ)」。1920年代のフィレンツェで上質な革製品を売り出すところから事業をスタートし、世界的なファッションブランドの祖と言われるまでに成長、その家名に名声と繁栄をもたらした企業だ。そんな誰もが一目置くブランドには、凄まじい骨肉の争いと陰謀、人々を震撼させる大事件が存在した。それはTVショーや三面記事を賑わすゴシップとなったのと同時に、一族の栄枯盛衰の物語であり、裏切りの悲劇として歴史に刻まれることとなった。

 本作『ハウス・オブ・グッチ』は、そんなグッチ一族の70年代から90年代に辿ることとなった激動の運命を、事実を基に脚色を加えた小説を原作に、大ベテランのリドリー・スコット監督が撮りあげた一大巨編である。そしてこれが予想を超えて、とにかく面白い。

 物語は70年代、創業者グッチオ・グッチの血統を受け継ぐ四男ロドルフォ・グッチ(ジェレミー・アイアンズ)の息子である、マウリツィオ・グッチ(アダム・ドライバー)に、美女パトリツィア・レッジャーニ(レディー・ガガ)が接近するところから始まる。マウリツィオ・グッチは、いまや一大帝国となっている家業をうとましくすら思っていて、法律を勉強することで独立独歩の道を歩もうとしている若者である。トラック運送業を営む父親のもとで事務の仕事をしているパトリツィアは、偶然を装ってマウリツィオの前に現れるなどの策を弄し、彼と結婚を誓い合うまでの関係を結ぶことに成功する。

 息子から結婚の意志を告げられたロドルフォ・グッチは「その女は金目当てだ」と、強硬に反対するものの、マウリツィオの信念も固く、パトリツィアは婚姻によって栄光のグッチ家に食い込むことに成功することとなる。ここでマウリツィオが父親のアドバイスを聞いていれば、この後の一族の悲劇は回避されていただろう。パトリツィアは、まさしく金と権力をつかむことに執念を燃やす、阿修羅のような激しさを持つ人物だったのだ。

 劇中では、パトリツィアがイタリアの大女優ソフィア・ローレンとニューヨークでニアミスする場面がある。レディー・ガガが演じているパトリツィアは、まさに『ひまわり』(1970年)などで、愛する人のために人生を燃やし尽くすソフィア・ローレンが演じた役柄のような激情が憑依しているように感じられる。ただパトリツィアの場合は、その情熱が富や社会的地位に向いているというだけなのだ。自分の美貌を最大限に利用して成功を得ようとする女性は、世間的には嫌われる傾向がある。しかし、そのような外野の声を意に介さず、露骨に権力に近づこうと邁進するパトリツィアの姿は、ある意味で爽快ですらある。

 そして、マウリツィオを焚き付けてうまくコントロールすることで、パトリツィアは「グッチ」の経営にも接近していき、大株主であるグッチ家三男のアルド・グッチ(アル・パチーノ)と、その息子パオロ・グッチとを離反させることに成功、持ち株を奪い会社を乗っ取る計画を進行させていく。その姿は『マクベス』で、夫をスコットランド王にするべく悪行を重ねていくマクベス夫人を彷彿とさせるところがある。本作は、そんな顛末を軽快さとともに、現代のシェイクスピア悲劇のような重厚さをも感じさせながら描いていくのだ。

 それにしても、神をも畏れぬ圧倒的な迫力を必要とする役柄を、レディー・ガガが見事に演じているのには驚嘆するほかない。初めての主演作『アリー/スター誕生』(2018年)では、卓越した演技力と歌声によって、いきなりアカデミー賞主演女優賞にノミネートされる快挙を成し遂げた彼女だが、本作ではその歌唱力に頼らず、さらに磨かれた演技力と、猛禽類のように鋭い眼光や、スターとしてのカリスマ性なあふれた身のこなしによって、別次元の存在感を発揮している。

 なかでも、中年になったパトリツィアの役柄の凄みをも完璧に表現しているところに、レディー・ガガの俳優としての幅の広さを感じずにはおれない。彼女のアーティストとしての名声は映画にとってプラスにはたらくのはもちろんだが、本作でのパフォーマンスはあまりに圧倒的で、音楽業界での彼女の業績とは関係なく、演技の実力だけで役を勝ち取れると思わせられるほど、高い境地に達しているといえるのではないだろうか。

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