佐藤二朗が身体から詩を生み出す サスペンスのドンデン返しが続く『さがす』の濃い2時間

 あれとかこれとか……ここにすべてを書いて分かち合いたいが書けないことがもどかしい。ひとつは冒頭、智がとある小道具を使用している姿は、プレスシートのプロダクションノートによると小道具の重さを試しているところを隠し撮りしたものを使用しているそうだ。筆者はその場面に武士のような精神性を感じた。武士の持ち物とは似ても似つかない小道具なのだが……。

 智をさがす娘の楓を演じる伊東蒼は、吉田恵輔監督作『空白』(2021年)では古田新太演じる父親の娘役を演じていた。古田に佐藤、クセの強い俳優が演じるちょっと心配なお父さんの娘を連続で演じた伊東。今、思春期の少女を演じさせたら彼女の右に出る者なしかもしれない。

 謎の名無しを演じる清水尋也は次々と殺人を犯していく人物ながら、天使か悪魔かわからない雰囲気を出していて最後まで目が離せない。

 片山監督の映画は俳優にとってもさぞ演じ甲斐があることだろう。画面構成と編集の巧さと普遍的な感情を呼び起こすクラシック音楽の使い方と、明かりの使い方(でも『岬の兄妹』も『さがす』も照明技師のクレジットがないのも特徴的)。それは『岬の兄妹』でも発揮されていたが、今回、より洗練されたように感じる。前述したように智と楓の住む住居は決して洒落た家ではないが、カーテンの柄が繊細だったり、智がゆったりしたリクライニングチェアをベッド代わりにしていたりして、暖色のライトが灯った夜の風景は温かくさえ見える。智はかつて卓球場を経営していたが、ある理由で閉鎖している。その練習場の窓が新聞紙で塞がれている。『岬の兄妹』におけるダンボールで窓を塞いだ兄妹の住居を思い出す。ストレートに陽光が差し込まないが、新聞紙は微妙に光を透かし、部屋は紗がかかったようになる。まるで登場人物の心もようのようである。

 ピンポン球の使い方も詩情に溢れている。『岬の兄妹』における赤いチラシが空を舞うあのカットのようなある瞬間、たくさんの白いピンポン玉が四方八方に飛び散る。ピンポン球がひとつ、床に落ちる音。潰れるピンポン玉。そして果てしないピンポンのラリーの軌跡。ピンポン玉も出演者のひとりのようだった。

 自殺志願者のムクドリ(森田智望)をあと押しする名無しの言葉は詩人のようでもあるし、何かを抱えて失踪した智もまた詩人のようである。そう、『さがす』は人間の内に沸きあがる詩を可視化している。

 話を佐藤二朗に戻す。身体から詩を生み出す佐藤二朗。佐藤の凄さをもうひとつ記すと、崇高な芸術に生きすぎず、どこかユーモアがあって登場人物に親しみを感じさせてくれることである。社会派ものや芸術になり過ぎると民衆から遠ざかっていきがちだが、そうならない。詩が生活になる。生活が詩になる。ただそこに生きる人が詩になる。片山監督と佐藤二朗のタッグによって、かつて宮沢賢治や寺山修司が描いてきた生活や労働や家族への度が過ぎるほどの複雑な身を切るような想いを謳う映画になった。『さがす』のタイトルの入り方もステキだった。

■公開情報
『さがす』
1月21日(金)テアトル新宿ほか全国公開
監督・脚本:片山慎三
出演:佐藤二朗、伊東蒼、清水尋也、森田望智
製作幹事・制作・配給:アスミック・エース
製作:アスミック・エース、DOKUSO映画館、NK Contents
製作協力:埼玉県/SKIPシティ彩の国ビジュアルプラザ
制作協賛:CRG
制作プロダクション:レスパスビジョン
制作協力:レスパスフィルム
(c)2022『さがす』製作委員会
公式サイト: https://sagasu-movie.asmik-ace.co.jp/
公式Twitter: @sagasu_movie

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