『親切なクムジャさん』の影響大? 『地獄が呼んでいる』など韓国復讐劇の共鳴

パク・チャヌクの復讐3部作と「復讐の倫理」

 『ヴィンチェンツォ』や『模範タクシー』が描いた私的復讐は、公権力と資本主義の癒着によって不利益や不公正を被る民衆側に寄り添ったものだ。このようなサイダードラマの元を辿ると、古くはハリウッド映画にもある自警団映画に行き着くが、韓国を代表する映画監督のパク・チャヌクによる復讐3部作、『復讐者に憐れみを』(2002年) 、『オールド・ボーイ』(2003年)、『親切なクムジャさん』(2005年)の影響は無視できない。それは、『模範タクシー』でムジゲ運輸に復讐を依頼する際のスイッチとなるアーケードゲームの声を『親切なクムジャさん』の真紅のアイシャドウの女、イ・ヨンエが演じていることからも明らかだ。映画のクライマックス同様、ゲームの中のイ・ヨンエは被害者にイエスかノーかを問うだけ。復讐の是非も善悪の判断も、依頼者に委ねられている。サイダードラマを観ながら視聴者も判断を迫られる。自分だったら……?

『映画という文化 -レンズ越しの景色-』Netflixにて独占配信中

 デヴィッド・フィンチャーが製作総指揮を務めるドキュメンタリーシリーズ『映画という文化 -レンズ越しの景色-』(Netflix)の第2話では、『親切なクムジャさん』を基調に「復讐の倫理」が論じられている。観客が復讐劇に魅力を感じるのは、不当な苦しみに喘ぐ人々が、苦悩と選択の末に復讐を遂げるからだと、クリエイターのトニー・シュウは語る。また、現実社会では不公正な暴力が横行しているため、映画の中で一本筋の通った正義が導く復讐にスッキリするのだ、と『カンフー・パンダ2』などのジェニファー・ネルソン監督は言う。だが映画の中の復讐者は、正義を追求する使命と倫理観の間で苦悩し、たいていは代償を払うことになる。たとえフィクションの中とはいえ、暴力を正当化し道を踏み外した者は、元の生活に戻ることはできない。そうして観客は映画から二重の満足感を得る。強い衝動に駆られた復讐の成就と、実社会に準規する秩序の回復だ。『親切なクムジャさん』に心を揺さぶられたのは、どこにでもいるような被害者家族がクムジャさんに促され復讐を決断した際に、観客も傍観者ではなく当事者となり、一瞬でも復讐を正当化したことが自己嫌悪を生んだからだと結んでいる。

クムジャさん=イ・ヨンエが払う復讐の代償

 そのイ・ヨンエが主演したドラマ『調査官ク・ギョンイ』は、元刑事で引きこもりゲーマーが保険調査員となり、サイコパスの女子大生殺人鬼ケイとの攻防を繰り広げるサスペンス。BBCアメリカ製作のドラマ『キリング・イヴ/Killing Eve』(2018年~)と設定は似ているが、ヴィラネル(ジョディ・カマー)とケイ(キム・ヘジュン)の殺人動機は正反対。雇われ暗殺者のヴィラネルに対し、ケイは独自の正義感に基づき暗殺を指令する。人のために復讐を企て快楽を得るケイことイギョンは、『親切なクムジャさん』のクムジャさん(イ・ヨンエ)の合わせ鏡。彼女たちの名前も、デカルコマニーのごとくギョンイとイギョンと名付けられている。ドラマのポスターでク・ギョンイがビニールの合羽を被っているのも、映画のクライマックスの被害者家族の再現だ。クムジャさんは、13年間の服役中に幸せな生活と家族を奪われた報復を企て、自らの手を汚すことなく復讐を成功させる。「復讐の倫理」で論じられているように、クムジャさん(を演じるイ・ヨンエ)は映画を飛び出し代償を払い、『調査官ク・ギョンイ』の世界では、独自の論理で復讐を正当化するケイを追う立場になる。それを踏まえると、ドラマのラストシーンで再び合わせ鏡が登場することに、クリエイターの意図を感じる。

 サイダードラマの流行は、公権力の秩序が乱れ、市民のフラストレーションが極限まで達した社会が生んだとされる。そのカウンターとして法と正義を問い直すドラマが作られたかと思うと、法の行使に民意を反映させる難しさと危険性をスリリングに描くドラマが登場する。2021年に世界中で話題となった『イカゲーム』(Netflix)も、秩序よりも資本主義が力を持つ世界の話だ。歪んだ正義感が膨張し、ネットで扇動された民衆が暴徒となる恐怖は、今年1月にアメリカも味わっている。かつて復讐劇の女王だったイ・ヨンエは、他人の復讐を請け負い、自分の手を汚さずに成功させる殺人鬼を追う。韓国ドラマの快進撃は、エンターテインメント作にも社会情勢を反映させ、ドラマや映画たちが呼応し合うように高みを目指す制作環境にあるのだろう。2022年にはどんな流行が生まれるのか、期待は募るばかりだ。

■配信情報
『地獄が呼んでいる』
Netflixにて独占配信中 (c)Jung Jaegu/Netflix

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