『ミラベルと魔法だらけの家』はディズニー作品そのもの? 主人公の複雑さが意味するもの

 しかし一方で、保守的な価値観に反するメッセージを提示するのもディズニーらしさだ。そんな矛盾したバランスが、じつはミラベルの屈折した内面に投影されているのである。魔法の力によって存続するマドリガル一族の能力や意思を持った家屋は、次第にその力を弱め、崩壊の危機を迎えていく。そもそも一族の魔法の源泉は、祖母アルマの“家族への無償の愛情”にあった。しかしアルマは、一族の存続を第一に考えるあまり、家族に“完璧であれ”というプレッシャーをかけてしまっていたのだ。そのせいで、能力を持ってないミラベルは劣等感を味わい、姉のイサベラやルイーサたちも精神的に追い詰められていたのである。

 家族の繁栄のために、家族たちに負担を与え傷つけるのでは本末転倒だ。そういう意味では、家族への愛を源泉とするマドリガル家の魔法が弱まっていったのは当然といえる。とくにミラベルは家族に強い愛情を感じ、誰よりも役に立ちたいと思っているがゆえに、アルマに必要とされないことに強い反発を覚えていたのだ。それが、最終的にミラベルによる家族の崩壊を引き起こすことになってしまう。主人公の強い愛と怒りが、一族の終焉へとつながっていく……それは、なんとせつなく美しい悲劇だろうか。

 この悲劇の構図が表現しているのは、家族をつなぎとめるものは、個々の能力や社会的な実績ではなく、互いの関係と態度にあるということだ。もし「家族」という共同体に価値があるのなら、例えば家族の中に変わった特徴を持った者がいたときに、家族こそがその特徴を受け入れ、一番の理解者になるべきだろう。家の体面や、他の家族に悪影響が及ぶことを恐れ、その一員を疎外してしまえば、そもそもの家族の意味自体が崩壊してしまうはずである。そんな家族ならば、いっそのこと崩壊して、それぞれが自由に生きた方がいいだろう。家族の崩壊する過程を描く本作には、そのような視点も存在するのだ。

 このように、家族の素晴らしさと、家族の在り方への厳しい見方が矛盾しながら集約されているのが、ミラベルというキャラクターの内面であり、『ミラベルと魔法だらけの家』の本質的なテーマである。そして、それは現在の分裂的な特性を持つに至った、ディズニー作品そのものでもあるといえるのだ。

 ピクサーすらもはるかに凌駕する、世界最高といえる優れたアーティストたちが、あらゆるレベルで保守性と革新的な価値観が互いに喰い合いをする矛盾のなか、ひしめき合いながら狂気といえるような創造性を発揮している……それが現在のディズニー・アニメーションである。その大きな果実の一つである『ミラベルと魔法だらけの家』とは、美しさとグロテスクさを湛えた、ある種の巨大な怪物のようなものなのかもしれない。

■公開情報
『ミラベルと魔法だらけの家』
全国公開中
監督:バイロン・ハワード、ジャレド・ブッシュ
音楽:リン=マニュエル・ミランダ
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
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