ティモシー・シャラメはなぜ特別? 『DUNE/デューン』でも発揮した他者を輝かせる才能
相手を輝かせる距離感の創出
「若い俳優は、すべてのシーンにポップな印象を与えなければならないというプレッシャーを感じていますが、役柄が大きくなればなるほど、そこにレイヤーを重ねることができ、シーンごとに行うことは少なくなっていくと感じています」(ティモシー・シャラメ)(※4)
敬愛するマシュー・マコノヒーとの対談の中で、ティモシー・シャラメは、俳優の「若さ」について、このように語っている。『マイ・ビューティフル・デイズ』(ジュリア・ハート監督/2016年)で、ティモシー・シャラメは行動障害を抱えた高校生を演じている。高校の英語教師レイチェル(リリー・レーブ)が、いざ教師という役割を離れると人との話し方が全く分からなくなってしまうように、本作では生活における「役割を演じること」自体がテーマとなっている。ホームパーティーでレイチェルが中年男性にナンパされている姿を遠くに見ながら、パーティーの片隅で、ミラーボールの明滅に照らされるビリー(ティモシー・シャラメ)とマーゴット(リリ・ラインハート)。何が起こるわけでも何をするわけでもないこのシーンが素描するビリーとレイチェルの年の離れた二人の関係性、距離感は、やがて二人が並んで歩くシーンで、お互いの間合いの演技として表現される。相手の入ってはいけない懐に対して、選びながら言葉を発するビリーの、リアルタイムで逡巡しているようしか見えない思考の流れと、そこに連動した身体的な距離感。それとは気づけないくらい何気ないシーンだが、ティモシー・シャラメはここで発話と間合いにおいて天才的な演技を披露している。ビリーの発話のためらいと身体的な距離感が、レイチェルというキャラクターの魅力を浮かび上がらせていくのだ。
このことは、『DUNE/デューン 砂の惑星』の撮影に入る際、レベッカ・ファーガソンとティモシー・シャラメの間で、二人の「距離感」に関して頻繁に話し合いが行われたというエピソードと重なっている。相手のことをよく観察する間合い、相手から学んでいく距離感。後年、『若草物語』のローリーが、王子様的な存在でありながら中性的な距離感を置くことで少女たちを輝かせたように、ティモシー・シャラメによる相手を引き立てる利他的な距離感の胎芽がここにある。『マイ・ビューティフル・デイズ』は、舞台に立つビリーの一人芝居のシーンで、ティモシー・シャラメが分かりやすく「爪痕を残す」演技もこなせることを証明しているという点でも、彼の多彩な演技のヴァリエーションを垣間見ることができる秀作だ。同じく、後に『若草物語』でシアーシャ・ローナンに対峙するティモシー・シャラメは、告白のシーンで一世一代の「爪痕」を残すことになる。
麻薬中毒に落ちていく若者を演じた傑作『ビューティフル・ボーイ』(フェリックス・ヴァン・フルーニンゲン監督/2018年)では、息子を受け止めるスティーヴ・カレルの素晴らしい受けの演技に身を任せている。車の中でニルヴァーナの曲を一緒に歌うくらい仲睦まじい親子であり、本当は息子の抱える問題の何もかもを頭の中では理解できている父親像を、スティーヴ・カレルは受けの表情一つで表現している。「(君の存在が)すべてだ」と抱き合う父子には、それでも断絶が生まれてしまう。反抗として始まるドラッグ依存というよりも、ドラッグそのものの強度に対して連鎖的に抜け出せなくなってしまい、自身をコントロールできなくなっていく主人公をティモシー・シャラメは演じている。
そして、ここでのスティーヴ・カレルこそ、相手の魅力を引き出していく演技を披露しており、ティモシー・シャラメは多大な感銘を受けたという。本作のスティーヴ・カレルには、何をせずとも彼の頭の中で目まぐるしい感情の動きが起こっていることが伝わってくる。ティモシー・シャラメは、そういった演技の余白に浮かび上がってくるものに感銘を受けたのだろう。まだ12歳の時、『ダークナイト』(クリストファー・ノーラン監督/2008年)でジョーカーを演じたヒース・レジャーを見て、俳優になることを志したティモシー・シャラメは、ヒース・レジャーの頭の中で起きていることに強く惹かれた、頭の中がどうなっているのか分からないからこそ惹かれたのだという。そのときの思いを次のように語っている。
「『ダークナイト』のヒース・レジャーを見た夜のことは、今でもはっきりと覚えています。(中略)ヒース・レジャーの演技は私の心に大きな影響を与えました。映画館を後にしたとき、私は少年のようになり、俳優になりたいと思うようになっていました」(※3)