『竜とそばかすの姫』にみるインターネット史の変化 良くも悪くも垣間見える細田守らしさ

 オリンピックが4年に1度開催されるように、細田守の映画は3年に1度、しかも夏にやってくるというように相場が決まっている。それは細田が東映アニメーションから独立して最初の作品である『時をかける少女』から維持されてきたルーティンであり、そこから数えて6度目の細田イヤーとなった2021年に登場したのが『竜とそばかすの姫』だ。インターネットの世界と現実の世界が重なり合う、それはつまり東映アニメーション時代の『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』と、2009年のヒット作『サマーウォーズ』の系譜を自らの手で更新する細田作品の集大成であることは言うまでもない。

 高知県の田舎町で父親と二人暮らしの高校生・すずは、幼い頃に母親を亡くしたショックで歌うことができず、また陰キャとしてひっそりと学校生活を送っていた。そんなある時親友から誘われて<U>というインターネット上の仮想世界に参加する。世界で50億人が利用しており(どういうシステムなのか具体的な説明は省かれているが)、利用者の見た目や潜在的な能力を具現化した<AS>という分身を作り、別の自分を生きることができる<U>。そこで歌姫ベルとして圧倒的な人気を確立するすずだったが、嫌われ者の竜と出会い、彼の負った傷の理由を知ろうとするのだ。

 誹謗中傷や承認欲求、はたまた一義的な正義を振りかざした自警団の登場など、若干のステレオタイプを含めながらもかなり混沌とした世界として描かれている<U>。そこに幾度となく「現実はやり直せないが、<U>ならやり直せる」と呪文のように唱えられ、本来ユートピアとしてあるべきだった<U>が決して魅力的ではない空虚なものに見えてくるのは、日々罵詈雑言が飛び交う現実世界のSNS世界とよく似ている。これまでの作品同様、インターネットと現実、どちらが善でどちらが悪かという二元論は持たず、あくまでもその両者が適切な距離感をもって重なり合うべきだという主張を感じることができるあたりは、いかにも細田作品らしい。

 現実からの避難場所として用意されたネット世界で得た結束と救済が、すべて利益にはならずとも現実になんらかの影響をもたらしていく。ある種ゲームの延長線上にインターネットというまだ未知なるものが存在していた2001年の『ぼくらのウォーゲーム』から、そこにコミュニケーションの選択肢としての機能が付け加えられた2009年の『サマーウォーズ』と経て、2021年にはもうそれ自体がコミュニケーションに不可欠なものへと変化を遂げる。その過程が、いずれも田舎町を舞台のひとつとして据えた3作品によって改めて確認することができるわけだ。

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