『ひきこもり先生』で佐藤二朗が体現する“命がけの闘い” 今までにない教師と生徒の関係

 再び家にひきこもった陽平の姿を見て(第4話)、これまで大人と子供、教師と生徒……それらの関係は絶対的なルール下にあるように感じていたことが誤解だったと気づかされた。『ひきこもり先生』では、先生だって傷つき、その痛みを治すことに苦心している。そもそも羊のぬいぐるみや花を傍らに置いてなんとか世界と対峙しようと努めているのだから、生徒を完璧に導くことなんてできるわけもない。

 嘘をついてしまったことにとらわれて娘への気遣いができなくなる陽平の脳の制御不能な様子を佐藤二朗は単なるエキセントリックな混乱ではなく、生真面目な人間がそれゆえに引き裂かれてしまう苦しみとして演じているように感じる。まるで薬を調合するような慎重さで。

 陽平が「学校なんか来なくていい」と言ったと学校で問題視されるが「苦しかったら」がその前についていたことを誰もがスルーしてしまう。「苦しかったら」が重要にもかかわらず、である。学校は生徒たちにとって絶対的な拠り所ではない。学校は自分たちを守るため、経営のために、いじめの問題を隠蔽しようとして抜本的な解決から目を逸らす。そこはもう生徒たちにとって救済の場ではない。「気持ち悪い」「戦場」化していた。

 経営第一のシステムから排除された陽平と「STEP」ルームの生徒たち。陽平は生徒たちのために死にものぐるいで学校に向かおうとし、生徒たちが陽平に「学校に行かなくていい」と言う。そのとき、生徒と先生の枠が外れ、戦場を生き抜こうと共にもがく人と人として向き合っているように見える。人と接することを恐れてきた者たちがその弱き力を振り絞って助け合う。その姿は、単に優しさとか愛の交換ではない。命がけの闘いである。

 黙って自室にひきこもり、その心の内を明かせない者たちの問題は、彼らを取り巻く外側の問題に目を向けることなのではないか。新たな視点を提示する意欲作である。

■木俣冬
テレビドラマ、映画、演劇などエンタメ系ライター。単著に『みんなの朝ドラ』(講談社新書)、『ケイゾク、SPEC、カイドク』(ヴィレッジブックス)、『挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ』(キネマ旬報社)、ノベライズ「連続テレビ小説なつぞら 上」(脚本:大森寿美男 NHK出版)、「小説嵐電」(脚本:鈴木卓爾、浅利宏 宮帯出版社)、「コンフィデンスマンJP」(脚本:古沢良太 扶桑社文庫)など、構成した本に「蜷川幸雄 身体的物語論』(徳間書店)などがある。

■放送情報
『ひきこもり先生』
NHK総合にて、毎週土曜21:00〜放送
原案:菱田信也
脚本:梶本惠美
音楽:haruka nakamura
出演:佐藤二朗、鈴木保奈美、佐久間由衣、玉置玲央、半海一晃、鈴木梨央、室井滋、白石加代子、高橋克典 、村上淳、内山理名ほか
制作統括:城谷厚司(NHKエンタープライズ)、訓覇圭(NHK)
演出:西谷真一(NHKエンタープライズ)、石塚嘉(NHKエンタープライズ)
写真提供=NHK

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